長唄の曲名。作詞盛岡侯南部利済,作曲10世杵屋(きねや)六左衛門。1845年(弘化2)12月,江戸麻布不二見坂の南部邸新築祝に初演。新御殿から眺めた秋景色をうたった一種の描写曲で,歌舞伎や舞踊から離れたいわゆる〈お座敷長唄〉の代表曲である。南部侯が六左衛門に長唄はどんな歌詞でも作曲できるかと問うたのに対し,六左衛門が即座に〈御意の通り〉と答えたので侯がこの歌詞を与え,〈変態繽紛(ひんぷん)たり……〉をどんな風に作曲するか期待していたところ,六左衛門はあっさり大薩摩の手(勇ましい浄瑠璃風の節)で逃げ,〈虫の合方〉や〈琴の合方〉で新味を出して,侯の鼻を明かしたという逸話がある。歌詞は大名の手すさびだけに,漢語や雅言を縦横に用いて奔放自在で,気品に富んでおり,異色である。本調子の前弾で静かな田舎の感じ,続いて本調子の間の唄は,淡々とした節付けのうちに,秋の季節感がよく出ており,続いて〈虫の合方〉ではタテ(主役の弾く低い三味線)が地を弾き,上調子が手事を弾くという違例の新味をきかせ,次は〈大薩摩〉で前記の文句をこなす。そのあとは二上りに転調,〈夢は巫山(ふざん)の雲の曲〉以下,全曲中の聴き所で虫の音の音楽的恍惚境から夢幻的な世界へと聴き手を導く。ここへ〈琴の合方〉が入るが,この合方には秋にちなんだ《岡康砧(おかやすぎぬた)》や《乱》の手がとり入れられ,この曲特有の箏曲のテクニックに換骨され,巧みに三味線化され,上調子の伴奏ですばらしい効果をあげる。ついで三下り,最後の部分の唄は小唄風な節付けで,のびのびと華やかに曲を結ぶ。この曲全体として爽涼な秋の季節感がにじみ出ており,手付けが洗練されていて少しのすきも無駄もなく唄も三味線も実に自然な手がついており,しかも曲の構成が序・破・急の段階にはまってよくまとまっている点,名曲たるの名に恥じない。
執筆者:浅川 玉兎
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長唄(ながうた)の曲名。通称「色種」。1845年(弘化2)初演。盛岡藩主南部利済(としなり)作詞、10世杵屋(きねや)六左衛門作曲。六左衛門が後援者の南部侯の求めに応じてその力量を示した作品といわれ、作詞は一説には南部侯の夫人ともいう。『吾妻八景(あづまはっけい)』と並ぶ演奏会用長唄の代表曲で、歌詞は秋の野辺の情景と花鳥風月の趣を歌い、ところどころに漢文も使われ、作詞者の教養と、六左衛門を困らせようとしたちゃめっ気が感じられる。調弦は、本調子→二上り→三下り。チンチロリンの松虫の鳴き声を入れた「虫の合方(あいかた)」や、箏(こと)のコロリンシャンの旋律と音色を上(うわ)調子でおもしろく聞かせる「琴の合方」があり、三味線、唄ともに高度な技巧で演奏される。
[茂手木潔子]
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… 天保期(1830‐44)から幕末にかけても長唄は全盛期であった。歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。…
※「秋色種」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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