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税所敦子 さいしょ あつこ

美術人名辞典の解説

税所敦子

歌人。京都生。宮家付の武士林篤国の子。鹿児島藩士税所篤之の妻。別名に喜代・春野、通称は千代瀬・楓内侍。千種有功に歌を学んで桂園派と交わる。夫と死別後、高崎正風の推挙で宮中に入り権掌侍に任じられ、貞明皇后昭憲皇太后に仕え、女官に歌文を教えた。家集に『御垣の下草』、随想に『心づくし』等。明治33年(1900)歿、76才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

税所敦子 さいしょ-あつこ

1825-1900 幕末-明治時代の歌人。
文政8年3月6日生まれ。鹿児島藩士税所篤之(あつゆき)の妻。千種有功(ちぐさ-ありこと)にまなぶ。夫と死別後,藩主島津家や京都近衛(このえ)家につかえた。明治8年宮内省にはいり,楓内侍(かえでのないし)とよばれ,皇后の歌の相手をつとめた。明治33年2月4日死去。76歳。京都出身。著作に「心つくし」,歌集に「御垣(みかき)の下草(したくさ)」。
【格言など】仏にもまさる心と知らずして鬼婆なりと人は言ふらん(鬼婆とあだ名された意地悪な義母にこわれてよんだ歌)

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朝日日本歴史人物事典の解説

税所敦子

没年:明治33.2.4(1900)
生年:文政8.3.6(1825.4.23)
明治時代の歌人。京都生まれ。旧姓林。幼少より歌の名手となることを願う。千種有功に桂園派の和歌を学ぶ。28歳で夫篤之に死別したのち,十数年間,島津家,京都近衛家に仕えた。明治8(1875)年51歳で皇后の歌のお相手として宮中に出仕。権掌侍となり楓内侍を名乗った。亡くなるまでの26年間,精勤した。温雅な歌風の旧派を代表する歌人であり,歌集『御垣の下草』(1888年12月)は,当時旧派詠歌入門の典範とされ,没後同書後編(1903年5月)が編まれた。ほかに紀行文集『心つくし』(1853),『内外詠史歌集』(1895)などがある。

(北田幸恵)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

税所敦子
さいしょあつこ
(1825―1900)

歌人。京都生まれ。旧姓林。夫の薩摩(さつま)藩士税所篤之(あつゆき)と死別後、鹿児島で藩主の幼君の保育にあたり、ついで京の近衛(このえ)家に老女役を務めた。1875年(明治8)宮内省に入り、権掌侍楓内侍(ごんしょうじかえでのないし)として歌道により奉仕した。高齢の身で精勤したが急逝し、青山墓地に葬られた。桂園(けいえん)派風の平明高雅な歌風である。紀行『心つくし』、歌集『御垣(みかき)の下草』、編著『内外詠史歌集』がある。
 雨はれて虹(にじ)たちわたる夏雲の青葉がうへになくほととぎす[新間進一]

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