税所敦子(読み)サイショアツコ

デジタル大辞泉 「税所敦子」の意味・読み・例文・類語

さいしょ‐あつこ【税所敦子】

[1825~1900]歌人京都の生まれ。宮内省出仕皇后昭憲皇太后)に歌道をもって仕えた。歌集御垣みかきの下草」など。

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精選版 日本国語大辞典 「税所敦子」の意味・読み・例文・類語

さいしょ‐あつこ【税所敦子】

  1. 歌人。京都の生まれ。旧姓は林。薩摩藩士税所篤之に嫁し、夫と死別後、宮内省に出仕して権掌侍(ごんのしょうじ)となり、昭憲皇太后に仕えた。新桂園派の歌人で、歌集に「み垣の下草」などがある。文政八~明治三三年(一八二五‐一九〇〇

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朝日日本歴史人物事典 「税所敦子」の解説

税所敦子

没年:明治33.2.4(1900)
生年:文政8.3.6(1825.4.23)
明治時代の歌人。京都生まれ。旧姓林。幼少より歌の名手となることを願う。千種有功に桂園派の和歌を学ぶ。28歳で夫篤之に死別したのち,十数年間,島津家,京都近衛家に仕えた。明治8(1875)年51歳で皇后の歌のお相手として宮中に出仕。権掌侍となり楓内侍を名乗った。亡くなるまでの26年間,精勤した。温雅歌風旧派を代表する歌人であり,歌集『御垣の下草』(1888年12月)は,当時旧派詠歌入門の典範とされ,没後同書後編(1903年5月)が編まれた。ほかに紀行文集『心つくし』(1853),『内外詠史歌集』(1895)などがある。

(北田幸恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「税所敦子」の解説

税所敦子 さいしょ-あつこ

1825-1900 幕末-明治時代の歌人。
文政8年3月6日生まれ。鹿児島藩士税所篤之(あつゆき)の妻。千種有功(ちぐさ-ありこと)にまなぶ。夫と死別後,藩主島津家や京都近衛(このえ)家につかえた。明治8年宮内省にはいり,楓内侍(かえでのないし)とよばれ,皇后の歌の相手をつとめた。明治33年2月4日死去。76歳。京都出身。著作に「心つくし」,歌集に「御垣(みかき)の下草(したくさ)」。
格言など】仏にもまさる心と知らずして鬼婆なりと人は言ふらん(鬼婆とあだ名された意地悪な義母にこわれてよんだ歌)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「税所敦子」の意味・わかりやすい解説

税所敦子
さいしょあつこ
(1825―1900)

歌人。京都生まれ。旧姓林。夫の薩摩(さつま)藩士税所篤之(あつゆき)と死別後、鹿児島で藩主の幼君の保育にあたり、ついで京の近衛(このえ)家に老女役を務めた。1875年(明治8)宮内省に入り、権掌侍楓内侍(ごんしょうじかえでのないし)として歌道により奉仕した。高齢の身で精勤したが急逝し、青山墓地に葬られた。桂園(けいえん)派風の平明高雅な歌風である。紀行『心つくし』、歌集『御垣(みかき)の下草』、編著『内外詠史歌集』がある。

 雨はれて虹(にじ)たちわたる夏雲の青葉がうへになくほととぎす
[新間進一]

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