穴沢喜美男(読み)アナザワ キミオ

20世紀日本人名事典 「穴沢喜美男」の解説

穴沢 喜美男
アナザワ キミオ

昭和期の舞台照明家



生年
明治44(1911)年3月22日

没年
昭和49(1974)年2月26日

出生地
新潟県北浦原郡

学歴〔年〕
法政大学商学部〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日演劇賞(第3回)〔昭和26年〕

経歴
遠山静雄に舞台照明を学び、昭和9年創作座第1回公演の久保田万太郎演出「鼬」以来、創作座の照明担当文学座が13年に発足してからは同座の照明を担当した。戦後は20年の新劇合同公演「桜の園」をはじめ、文学座「女の一生」「欲望という名の電車」、俳優座「検察官」、新協劇団・東京芸術劇場合同の「どん底」、民芸「セールスマンの死」など各劇団の照明を手がけた。26年度毎日演劇賞受賞。35年には穴沢照明研究所を開設、後進を育成した。照明が単なる舞台配光から劇中人物の内的心理まで深くかかわるものとなった功績は、穴沢らの努力によるところが大きい。著書に「舞台照明の仕事」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「穴沢喜美男」の意味・わかりやすい解説

穴沢喜美男
あなざわきみお
(1911―1974)

舞台照明家。新潟県生まれ。1933年(昭和8)法政大学卒業。在学中より舞台照明に興味をもち、遠山静雄照明研究所に参加。のちに舞台装置家伊藤熹朔(きさく)の知遇を得て、創作座、新協劇団、文学座など新劇の分野において舞台照明家としての評価を得る。第二次世界大戦後は商業演劇舞踊オペラの分野でも活躍。木下順二作『夕鶴』の舞台照明により第3回毎日演劇賞を受賞(1951)した。著書に『舞台照明の仕事』(1953)がある。

大木 靖]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「穴沢喜美男」の解説

穴沢喜美男 あなざわ-きみお

1911-1974 昭和時代の舞台照明家。
明治44年3月22日生まれ。遠山静雄照明研究所でまなび,新劇の照明を担当。戦後は舞踊,オペラなどにも活動の場をひろげる。昭和25年「夕鶴」の舞台照明で毎日演劇賞。昭和49年2月26日死去。62歳。新潟県出身。法大卒。著作に「舞台照明の仕事」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「穴沢喜美男」の解説

穴沢 喜美男 (あなざわ きみお)

生年月日:1911年3月22日
昭和時代の舞台照明家
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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