竜潭寺(読み)りゆうたんじ

日本歴史地名大系 「竜潭寺」の解説

竜潭寺
りゆうたんじ

[現在地名]岩倉市本町

天保一五年(一八四四)の上市場家並絵図(大野国一氏蔵)によれば、犬山いぬやま街道が北から東へL字形に折れる角から西へ「門前道」があり、道の両側は家並で、一軒前の幅の入口から北へ参道があって、奥に門・鐘楼・客殿・禅堂・庫裏土蔵・墓所が描かれている。建雲山と号し曹洞宗本尊阿弥陀如来立像。

尾張志」は「永正二年、津田氏の本願にて僧本興建立す」と記す。文政四年(一八二一)の寺書上によれば、織田敏定が先祖津田某のために永正二年(一五〇五)に建立し、赤津あかづ(現瀬戸市)雲興うんこう寺五代の永山本興の直弟密伝文雪の嗣法の地としている。この書上には末寺二八ヵ寺だが、現在では三三ヵ寺に及ぶ。「門首四ケ寺」と称する末寺の熊之庄くまのしよう(現西春日井郡師勝町)不伝ふでん寺、片場かたば(同)円通えんつう寺、久保一色くぼいしき(現小牧市)久保きゆうぼう寺、比良ひら(現名古屋市)光通こうつう寺が合議して重要寺務を処理している。

竜潭寺
りようたんじ

[現在地名]亀岡市田野町太田

太田おおたの北、太田山の山麓にある。金剛山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は聖観音

寺伝によれば山城国龍安りようあん(現京都市右京区)開祖雪江が当地に大梅だいばい寺を創設したのに始まり、のち雪江の弟子特芳がここに住み、丹波守護細川氏の家老松井越前守宗信の外護で堂宇を再建、竜潭寺と改名、特芳を開山としたという。細川氏により寺領を寄進され、明応四年(一四九五)六月には細川政元によって制札が立てられ(桑下漫録)、この頃には塔頭瑞竜ずいりゆう院・福寿ふくじゆ院・青厳せいがん院の三院があったと伝える。

竜潭寺
りゆうたんじ

[現在地名]中川区野田町 寺腰

医王山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来像。草創は不詳であるが、寺伝によれば康正元年(一四五五)(一説に文明一一年)僧錦渓の創建になるという(尾張志、徇行記)。「寛文覚書」によれば、海東かいとうかつら(現海部郡七宝町)広済こうさい寺の末寺であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の竜潭寺の言及

【引佐[町]】より

…1954年セメント工場が進出してから工場も増え,セメントのほか,自動車部品や木製品などの工業生産が伸びている。奥山半僧坊で知られる臨済宗の名刹(めいさつ)方向寺,井伊氏の菩提寺で小堀遠州作の庭園(名)がある竜潭寺,井伊氏の拠城三岳城跡(史),宗良親王をまつる井伊谷宮などがある。【萩原 毅】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」