笠間稲荷神社(読み)かさまいなりじんじや

日本歴史地名大系 「笠間稲荷神社」の解説

笠間稲荷神社
かさまいなりじんじや

[現在地名]笠間市笠間

高橋たかはし町にあり、祭神は宇迦之御魂命。旧村社。社伝によると白雉年間(六五〇―六五四)胡桃の樹の下に小祠を建てたのが始まりと伝え、胡桃下くるみした稲荷・紋三郎もんざぶろう稲荷ともよばれる。寛保三年(一七四三)藩主井上正賢が社地を寄進社殿を拡張して祈願所とする。延享四年(一七四七)牧野氏入封後も引続き藩主の祈願所となり、牧野貞長の代に正一位胡桃下稲荷大明神の賜号を京へ上申し、勅許を得る。

境内には嘉永元年(一八四八)山内やまうち商人三九人奉納の鉄製水鉢、同五年真壁まかべ郡真壁町町人一〇〇人による奉納額など多数があり、藩主ばかりでなく近郷の商人の信仰もみられるが、明治(一八六八―一九一二)以降はいっそう信仰が広まり、同三〇年代には講社は四〇〇を超え、関東地方のほかに東北・中部にも及んだ(胡桃下稲荷神社縁起)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「笠間稲荷神社」の意味・わかりやすい解説

笠間稲荷神社
かさまいなりじんじゃ

茨城県笠間市笠間に鎮座。祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。古くは紋三郎(もんざぶろう)稲荷または胡桃下(くるみした)稲荷ともよばれた。社伝によれば、孝徳(こうとく)天皇の白雉(はくち)年間(650~654)に創祀(そうし)されたという。江戸時代に入り、累代の笠間城主の崇敬を受け、社地・社殿の拡張が相次ぎ、関東一円にその名を知られるようになった。旧村社。例祭は4月9日。そのほか、追儺(ついな)式(節分)、初午(はつうま)祭(2月初午の日)、御田植(おたうえ)祭(5月10日)などの特殊神事がある。本殿重要文化財)は江戸末期の建築で、とくに側面の彫刻は精巧を極めている。境内の藤樹2株は樹齢400年に及び、県の天然記念物。

[茂木貞純]

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デジタル大辞泉プラス 「笠間稲荷神社」の解説

笠間稲荷神社

茨城県笠間市にある神社。651年創祀とされる。祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。本殿は江戸末期に再建されたもので、国の重要文化財に指定

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事典・日本の観光資源 「笠間稲荷神社」の解説

笠間稲荷神社

(茨城県笠間市)
関東・観光バスで行く名所100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の笠間稲荷神社の言及

【笠間[市]】より

…市域では丘陵状の地形がめだち,市街も涸沼(ひぬま)川上流の盆地状低地に開ける。13~16世紀には市街東方の佐白山頂に城を構えた笠間氏が支配,江戸時代に入って笠間藩主牧野氏の治政下に城下町が完成,笠間稲荷神社の鳥居前町も成立した。加えて水戸~結城~小山を結ぶ街道(現,国道50号線)の宿場町であった。…

※「笠間稲荷神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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