追儺(読み)ツイナ

デジタル大辞泉 「追儺」の意味・読み・例文・類語

つい‐な【追×儺】

大みそかの夜に行われる朝廷の年中行事の一。鬼にふんした舎人とねり殿上人らが桃の弓、葦の矢、桃のつえで追いかけて逃走させる。中国の風習が文武天皇の時代に日本に伝わったものという。江戸時代の初めには廃絶したが、各地の社寺や民間には節分の行事として今も伝わり、豆まきをする。鬼やらい。鬼追い。鬼打ち。 冬》「山国のやみ恐ろしき―かな/石鼎」

な‐やらい〔‐やらひ〕【×儺】

追儺ついな。鬼やらい。
「滝口も―果てけるままに、皆まかでてけり」〈紫式部日記

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精選版 日本国語大辞典 「追儺」の意味・読み・例文・類語

つい‐な【追儺】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 朝廷の年中行事の一つ。大晦日の夜、悪鬼を追いはらうための儀式。疫病その他の災難を追放しようとするもので、古く中国に始まり、日本では慶雲三年(七〇六)に初めて行なわれ、次第に社寺・民間でも行なわれるに至った。後世は節分の夜、豆をまいて禍を追う行事となった。おにやらい。なやらい。な。《 季語・冬 》
    1. 追儺<b>①</b>〈公事十二ヶ月絵巻〉
      追儺〈公事十二ヶ月絵巻〉
    2. [初出の実例]「凡十二月晦日戌時追儺。坊官率品官舎人等南門外。兵衛開門如常。内裏儺声如発、大夫以下各執桃弓葦矢」(出典:延喜式(927)四三)
    3. 「つこもりの夜、ついなはいととくはてぬれば」(出典:紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一二月三〇日)
  3. ついなめしのじもく(追儺召除目)」の略。
    1. [初出の実例]「於朱雀門大祓。乃追儺如常。授正五位下行左衛門佐兼加賀権守藤原朝臣弘経従四位下」(出典:日本三代実録‐元慶六年(882)一二月二九日)

追儺の補助注記

漢籍には見られず、日本における呼称。中国では、疫鬼を駆逐する儀礼を「儺」「大儺」という。「観智院本名義抄」には「儺」に「ヲニヤライ(フ)」の和訓が見える。


な‐やらい‥やらひ【追儺】

  1. 〘 名詞 〙 疫鬼を追いやる行事。ついな。おにやらい。《 季語・冬 》
    1. [初出の実例]「滝口もなやらひ果てけるままに、みなまかでてけり」(出典:紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一二月三〇日)

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改訂新版 世界大百科事典 「追儺」の意味・わかりやすい解説

追儺 (ついな)

悪鬼を払い,疫癘(えきれい)を除いて,新年を迎える儀式。宮廷年中行事の一つ。大晦日の大祓(おおはらえ)についで行われた。大儺(たいな),鬼やらいともいう。古く中国に始まり,《周礼(しゆらい)》によれば方相氏(ほうそうし)/(ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり,四つの黄金の目玉のある面をつけ,黒衣に朱の裳(も)をつけ,手に戈(ほこ)と盾(たて)とをもって疫鬼を追い出した。日本へは文武天皇のころに伝わったという。《延喜式》によると,大舎人(おおとねり)寮の舎人が鬼の役をつとめ,大舎人長が方相氏になり,《周礼》の古制にならった扮装をした。大晦日の夜群臣が内裏(だいり)の中庭に立ち,亥(い)の刻に陰陽寮(おんみようりよう)が儺祭を行い,終わって方相氏が大声(儺声という)を発し,戈で盾を3度打つ。群臣はこれに呼応して桃の弓,葦の矢,桃の杖をもって鬼を追う。鬼は宣陽,承明,陰明,玄輝の四門を回り,滝口の戸から逃げ出すが,方相氏が先頭に立って追った。方相氏の扮装が異様なため,のちには方相氏が鬼で,群臣が追い出すのだと考えられた。宮廷行事としては中世に廃れたが,近世になり諸国の神社で節分に追儺祭が行われるようになった。
執筆者:

儺(だ),大儺とも呼ぶ。古代では季節ごとに行われたが,漢代以降12月中に1度行われ,唐・宋時代,除夜の行事となった。庶民の間でも行われたが,宮中の追儺はとくに盛大である。熊の皮を着た方相氏が,手に戈を執り盾をふりあげて,侲子(しんし)(善童の意。漢代120人)や十二神獣の助けを借りて悪鬼を追放した。このとき,方相氏は十二神獣とともに勇壮に舞い,悪鬼をおそれさせたという。唐代には方相氏は4人となり,儺儺(鬼やらいの声)を唱え,また朱髪の恐ろしい12人が麻のむちをふるって鋭い音をたて,口々に悪鬼を食う神の名を呼んだ。侲子も多数参加する。宋代ではいっそう遊戯化し,役人たちにさまざまな仮面と彩色の衣をつけさせ,槍や旗を持たせた。これ以後,しだいに廃れるが,清代の正月にはラマ教徒による打鬼が行われた。現在では,春節爆竹などに,そのなごりをとどめるにすぎない。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「追儺」の意味・わかりやすい解説

追儺
ついな

鬼やらい、なやらいなどともいい、日本では節分の豆撒(ま)きをこの名称でよぶことが多いが、本来は疫鬼を追い払う行事。中国では『周礼(しゅらい)』によれば、熊(くま)の皮をかぶり黄金の四つ目の面をつけ、黒衣に朱裳(しゅしょう)を着した方相(ほうそう)氏という呪師が矛と盾を手にして、宮廷の中から疫鬼を追い出す作法を行ったという。

 日本には、追儺は陰陽道(おんみょうどう)の行事として取り入れられ、文武(もんむ)天皇の慶雲(きょううん)3年(706)に、諸国に疫病が流行して百姓が多く死んだので、土牛をつくって大儺(おおやらい)を行ったというのが初見である。『延喜式(えんぎしき)』などによると、宮中では毎年大晦日(おおみそか)の夜、黄金の四つ目の面をかぶり黒衣に朱裳を着した大舎人(おおとねり)の扮(ふん)する方相氏が、右手に矛、左手に盾をもって疫鬼を追い払ったという。この除夜の追儺はおそらく大祓(おおはらえ)の観念とも結び付いて展開したものと思われるが、そのほか、寺の修正会(しゅじょうえ)や修二会(しゅにえ)の際にもこの鬼やらいの式が行われた。

 一方、民間の鬼やらいは二月節分に行われ、豆撒きが盛んであるが、なかには大晦日に豆撒きを行う例もある。追儺には、大晦日や正月の鬼やらいの行事をいう場合と、二月節分の豆撒きをいう場合とがあるわけである。概して日本の民俗における鬼に対する観念は複雑で、豆撒きも鬼を追い払うのでなく神への散供(さんぐ)と考えられ、単に疫鬼、悪鬼というだけでなく、むしろ悪霊を抑える力強い存在(善鬼)とみるようなところがある。

[新谷尚紀]

『和歌森太郎著『年中行事』(1957・至文堂)』


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百科事典マイペディア 「追儺」の意味・わかりやすい解説

追儺【ついな】

〈おにやらい〉とも。疫鬼を追い払う習俗。古く中国で行われ,日本へは陰陽道(おんみょうどう)の行事として取り入れられた。延喜式によれば,朝廷では毎年12月晦日(みそか)に行い,方相氏が戈(ほこ)をもって盾(たて)をたたき,群臣がモモの弓,アシの矢で鬼を追い払った。この行事は早くすたれ,現在社寺で節分祭に行われるのは,民間の豆まきの習俗と古式の追儺が習合したものといわれている。法隆寺と薬師寺の鬼追式が名高い。
→関連項目鬼ごっこ建武年中行事厄病神

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「追儺」の意味・わかりやすい解説

追儺
ついな

鬼やらい,なやらい,大儺 (たいだ) ,駆儺 (くだ) ともいう。宮中の年中行事の一つ。悪魔を祓い,悪疫邪気を退散させる儀式。中国に始り,文武天皇 (在位 697~707) の頃に伝わり,のちには社寺,民間でも行われた。古くは大みそかに行われたが,のちに節分の豆まきとして行われるようになった。

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普及版 字通 「追儺」の読み・字形・画数・意味

【追儺】ついな

鬼やらい。

字通「追」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の追儺の言及

【鬼ごっこ】より

…この鬼を追放しようとする祭事や行事もまた往昔から行われていた。例えば,追儺(ついな),儺(な)やらい,鬼遣(おにやらい)などと呼ばれる行事はその典型で,後に鬼追い,鬼むけ,悪魔払いなどとも呼ばれるようになった。現在行われている節分の豆まきはその遺風である。…

【行基図】より

…国土の概念を得るのに便利であったからであろうが,また行基の名に権威を感じたからでもあろう。 行基の名がこの種の簡略な日本全図に結びついたのは,追儺(ついな)の儀式の媒介によるものと思われる。なぜなら,仁和寺所蔵図には追儺の行われる12月にわざわざ〈寒風を絶って書写し〉,しかも〈部外者に見せてはならない〉とさえ記してあり,その図が単なる地理的情報源でなかったことを物語っているからである。…

【節分】より

…現行暦では2月3日もしくは4日にあたる。大晦日,1月6日,1月14日とともに年越しの日とされ,これらとの混交もみられるが,現在の節分行事はほぼ全国的に,いり豆をまく追儺(ついな)の行事と門口にヤキカガシ(ヤイカガシ)を掲げる風習を行う点で共通している。社寺でも民間でも盛んに行われる豆まきの唱え言は土地によって各種あるが,〈鬼は外,福は内〉というのが一般で,訪れる邪鬼をはらおうとするものと解されている。…

【朝鮮演劇】より

…無舞は西域より伝来された仏教歌舞であり,日本の空也念仏と同類型のものと思われる。処容舞は,高麗,李朝を通じて宮中宴や追儺(ついな)に仮面をかぶって演じられた怪異豪放な舞劇であり,のちには両班(ヤンバン)(貴族)私家の宴楽舞としても舞われた。五伎は金丸,月顚,大面,束毒,狻猊をさすが,中国と西域伝来の〈散楽〉などの影響下に形成された三国楽を総合したものである。…

※「追儺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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