日本歴史地名大系 「高橋町」の解説
高橋町
たかはしちよう
南北に通る
平安京の条坊では町の西側が左京五条三坊三保一四町東、東側は同四坊二保三町の西にあたる。平安時代中期以降は高辻東洞院大路北の地。
「祇園社記」には、当町内の東南部にあたる「高辻東洞院東頬、高辻以北、口肆丈奥弐拾丈」の地の売券が豊富に残されている。その最も早いものが次にあげる暦応二年(一三三九)のものである。
これによれば、この地はもともとは藤原藤久の地であったが、必要があって源氏女に売却。藤久自身、家の相伝文書を紛失してしまい改めて紛失状を立て、また、類地を除いた新券文を立てたのである。更にこの地は観応元年(一三五〇)八月七日に、源氏女より「みなもとのあこ女」に譲渡されている。
高橋町
たかはしまち
高橋町
たかはしちよう
高橋町
たかはしちよう
高橋町
たかはしちよう
高橋町
たかはしまち
城下の中央に位置し、
宝永二年(一七〇五)の笠間町町方軒別改帳(笠間稲荷神社蔵)によれば、屋敷数五五(二軒口一、一軒半口一、一軒口一四、半軒口三八、寺屋敷一)・人数三一八、馬一八。職業別には地作一四、日雇四、家中奉公人四、酒売三、穀売六、大工三、油屋二、茶売二、豆腐屋・研屋・萱手・たばこ屋・あめ屋・舞々大夫・果物屋・仕立屋・菓子売・桶屋・提灯番・鳴子番・馬喰・鍬柄師各一で、他に名主二、組頭一であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報