日本大百科全書(ニッポニカ) 「箕郷」の意味・わかりやすい解説
箕郷
みさと
群馬県中西部、群馬郡にあった旧町名(箕郷町(まち))。現在は高崎市(たかさきし)の北部の東寄りを占める地域。1955年(昭和30)箕輪(みのわ)町と車郷(くるまさと)村が合併して箕郷町が成立。1957年相馬(そうま)村と上郊(かみさと)村の各一部を編入。2006年(平成18)高崎市に編入。旧箕郷町は榛名(はるな)山南東斜面の農村で、ほぼ中央を白川(しらかわ)が南東に流れ烏(からす)川に注ぐ。集落は標高140~500メートルに分布し、主要地方道が南の高崎市街地、北の渋川市に通じる。旧箕輪町は室町時代箕輪城の城下町で、西明屋(にしあきや)にその名残(なごり)をとどめている。1598年(慶長3)井伊直政(いいなおまさ)が高崎城に転じてから廃城になった。箕輪城跡(国史跡)は城門などの遺構が残され、遊歩道なども整備されている。養鶏、野菜栽培のほかナシ、モモ、ウメの果樹栽培が特色。灌漑(かんがい)用の人工湖鳴沢(なるさわ)湖は風景に優れる。
[村木定雄]
『『箕郷町誌』(1975・箕郷町)』