門付(かどづけ)の芸人。江戸時代師走になると赤い布で顔を隠し,頭に裏白(うらじろ)をつけた笠をかぶった芸能者数人が一組となり,割竹をたたいて〈節季候節季候 めでたいめでたい〉と唱えて家々の門口を訪い歩いた。のちには紙の頭巾(ずきん)に宝尽しの紙前垂れをし,四つ竹,小太鼓,拍子木などを鳴らし,女の三味線に合わせてにぎやかに囃して〈せきぞろ ほうほう 毎年毎年旦那のお庭へ飛び込めはねこめ〉などと唱えて歩いた。《俚謡集》(1914)に広島県賀茂郡の例として〈大和国からござりた節季候,御家の掛りをあらあら申せば,四方の堀には水を湛へ,八ツ棟造りの檜の無節,先年飛驒の匠が建てたる御家か,さても見事や,せきぞろ〉という唱えごとを載せる。《日本永代蔵》《人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)》にその姿が見える。
執筆者:山路 興造
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…折口の海と山との連続性と里との交流過程は,柳田の仮説と異なるわけだが,柳田が山を山人の起源とするのに対して,折口は海に中心をおいている点が注目される。また折口は,山人の具体的な姿として,笠をつけみの(蓑)をまとい,山苞(やまづと)として削掛け(けずりかけ)などの棒や杖を所持して現れることを特徴としてあげており,その姿で宮廷の祭りには呪詞(いわいごと)を述べに来たり,のちには村々を訪れて祝福を与えていく節季候(せきぞろ)などの遊芸,門付人ともなっていく過程に目をむけていて,日本芸能史に果たした役割の重要性を指摘しながら,独自の体系を打ち出している。そのほか早川孝太郎や宮本常一らの研究もあるが,山人研究は近代化の進展とともに,実態調査をとおしては実体をつかみにくくなったために,十分な研究が行われていない。…
※「節季候」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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