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節季候 セキゾロ

デジタル大辞泉の解説

せき‐ぞろ【節季候】

《「節季(せっき)にて候」の意》江戸時代門付けの一。歳末に三、四人一組でウラジロの葉をつけた笠をかぶり、赤い布で顔を覆い、四つ竹などを鳴らしながら「せきぞろ、せきぞろ」とはやして家々を回り、米銭(べいせん)を請うた。せっきぞろ。 冬》「―の来れば風雅も師走哉/芭蕉

せっき‐ぞろ【節季候】

せきぞろ(節季候)

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百科事典マイペディアの解説

節季候【せきぞろ】

江戸時代の門付(かどづけ)芸の一つ,またその芸人。毎年12月中旬から末に,紙の頭巾(ずきん)と前垂をつけた者(古くは裏白をつけた笠(かさ)をかぶり赤い覆面をした)が3〜4人で組になり,四つ竹などではやしながら〈せきぞろ,ほうほう…〉と来年を祝う祝詞を唱えながら米銭を請い歩いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

せきぞろ【節季候】

門付(かどづけ)の芸人。江戸時代師走になると赤い布で顔を隠し,頭に裏白(うらじろ)をつけた笠をかぶった芸能者数人が一組となり,割竹をたたいて〈節季候節季候 めでたいめでたい〉と唱えて家々の門口を訪い歩いた。のちには紙の頭巾(ずきん)に宝尽しの紙前垂れをし,四つ竹,小太鼓拍子木などを鳴らし,女の三味線に合わせてにぎやかに囃して〈せきぞろ ほうほう 毎年毎年旦那のお庭へ飛び込めはねこめ〉などと唱えて歩いた。

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大辞林 第三版の解説

せきぞろ【節季候】

〔「節季に候」の意〕
近世の遊芸門付かどづけの一。歳末に二、三人組で「せきぞろ、せきぞろ」とはやして家々を回り、遊芸をして米・銭を請うた。せっきぞろ。 「 -や弱りて帰る籔の中(尚白)/続猿蓑」

せっきぞろ【節季候】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

節季候
せきぞろ

元禄(げんろく)時代(1688~1704)から盛んに行われた一種の物乞(ご)い。歳末になると男女が編笠(あみがさ)に歯朶(しだ)の葉をつけてかぶり、赤い布で顔を隠して目だけ出し、簓(ささら)をすりながらめでたい唄(うた)を口ずさみ、門付(かどづけ)をして、米や銭をもらって歩いた。簓ばかりでなく太鼓もたたいてやってきた。昔は三都にあったが、江戸時代末期には江戸の街だけとなった。[遠藤 武]

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世界大百科事典内の節季候の言及

【山人】より

…折口の海と山との連続性と里との交流過程は,柳田の仮説と異なるわけだが,柳田が山を山人の起源とするのに対して,折口は海に中心をおいている点が注目される。また折口は,山人の具体的な姿として,笠をつけみの(蓑)をまとい,山苞(やまづと)として削掛け(けずりかけ)などのや杖を所持して現れることを特徴としてあげており,その姿で宮廷の祭りには呪詞(いわいごと)を述べに来たり,のちには村々を訪れて祝福を与えていく節季候(せきぞろ)などの遊芸,門付人ともなっていく過程に目をむけていて,日本芸能史に果たした役割の重要性を指摘しながら,独自の体系を打ち出している。そのほか早川孝太郎や宮本常一らの研究もあるが,山人研究は近代化の進展とともに,実態調査をとおしては実体をつかみにくくなったために,十分な研究が行われていない。…

※「節季候」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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