粉河寺縁起(読み)こかわでらえんぎ

精選版 日本国語大辞典 「粉河寺縁起」の意味・読み・例文・類語

こかわでらえんぎこかはでらエンギ【粉河寺縁起】

  1. 絵巻物一巻。紙本着色。一二世紀後半の作。筆者不明。粉河寺の起こりと本尊千手観音にまつわる説話を描く。同寺蔵。国宝

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改訂新版 世界大百科事典 「粉河寺縁起」の意味・わかりやすい解説

粉河寺縁起 (こかわでらえんぎ)

粉河寺の本尊千手観音造像にまつわる奇跡とその霊験譚を描いた絵巻。1巻。12世紀後半の制作と推定される。火災によって巻頭部分を失い,巻の上下もいたみがはげしい。この説話自体は,はやく1054年(天喜2)の《粉河寺大率都婆建立縁起》の前半に収載されており,それを参照すれば,前段は,宝亀年中(770-781)紀伊国那賀郡に住む猟師が,山中光明の輝く所のあるのを見て奇異に思い,柴の庵を建て仏像を造りたいと念じていると,童行者が訪れて,7日の間庵に閉じこもり千手観音像を造ってそのまま姿を消したという同寺草創の話。後半は,河内国の長者の娘が重病に悩んでいるところへ童行者が現れ,枕元で祈りをささげると7日目の朝に娘の病は平癒した。行者は礼の宝物を辞退し,ただ紅の袴とさげさや(提鞘)のみを受けとり,住いは紀州の粉河と告げて立ち去る。翌春その地を訪ねた長者一家は山中の柴庵中に紅の袴とさげさやのかけられた千手観音像を見いだし,かの童行者はこの観音の化身であったと悟って一門剃髪し観音に仕えたという話である。草葺き観音堂などを何度も反復してあらわし,背景も人物も穏やかな筆致で淡々と描いており,同時代縁起絵巻である《信貴山縁起》の動勢に富んだ描線,構成に比して,むしろ古様な趣の画面が続く。説話の成立が古いことから,おそらく原本となった絵巻が存在したものと思われる。粉河寺蔵。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「粉河寺縁起」の意味・わかりやすい解説

粉河寺縁起
こかわでらえんぎ

和歌山県、粉河寺の千手観音(せんじゅかんのん)にまつわる説話を題材とした絵巻。1巻。内容は2部からなり、第1話は、宝亀(ほうき)年間(770~781)紀伊(きい)国(和歌山県)の猟師が山中で地面から光を発するのを見、そこにお堂を建て仏像を祀(まつ)りたいと願う。ある日1人の童子が現れて宿を請い、その礼に仏像をつくるが7日間はのぞいてはならないという。8日目に猟師が行ってみると、童子の姿はなく金色に輝く千手観音が立っていたという話。第2話は、重病に悩む河内(かわち)国(大阪府)の長者の娘を、1人の童子が千手陀羅尼(だらに)を唱えて治す。童子は娘が捧(ささ)げる紅の袴(はかま)を受け取り、長者の問いに、居住は紀伊国粉河とだけ告げて立ち去る。翌年長者一家が訪ねて行くと、千手観音の手に娘の袴がかかっていた。童子が観音の化身であったことを知った一同は、剃髪(ていはつ)して仏に仕えたという話。平安末期から鎌倉初期(13世紀)の作で、筆者は不明。同一図様の反復使用が多く、画風は先行作品に倣ったか古様な趣(おもむき)が強い。国宝。粉河寺蔵。現状は火災のため画面の上下に焼痕(しょうこん)が残る。

[村重 寧]

『梅津次郎編『新修日本絵巻物全集6 粉河寺縁起絵他』(1977・角川書店)』『小松茂美編『日本絵巻大成5 粉河寺縁起』(1977・中央公論社)』


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