コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

紀古佐美 きのこさみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

紀古佐美
きのこさみ

[生]天平5(733)
[没]延暦16(797).4.4.
平安時代初期の廷臣。宿奈麻呂の子とも,飯麻呂 (おものまろ) の子ともいう。宝亀 11 (780) 年,蝦夷の伊治呰麻呂 (いじのあたまろ) の乱に,征東副使としてこれをしずめ,天応1 (781) 年,功により従四位下に叙せられた。延暦4 (785) 年参議,同7年征東大使となり,翌年軍を陸奥多賀城 (→多賀城跡 ) に集め,蝦夷平定の任についた。しかし巣伏村で蝦夷に敗れてから戦況ははかばかしくなかった。同年奏上した軍功の虚偽が表われ,副将以下は処罰されたが,古佐美は罰を免れた。同 13年中納言正三位,同 15年大納言に昇進,翌年東宮傅 (とうぐうふ) を兼ねたが,まもなく没した。 (→紀氏 )  

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

紀古佐美【きのこさみ】

平安初期の官人貴族。紀宿奈麻呂の子。丹後守,式部少輔,右少弁などを歴任,780年征東副使に任じられ,翌年陸奥守となった。788年再び征東大使に任じられ,翌年の征討で蝦夷の反撃を受けて大敗した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀古佐美 きの-こさみ

733-797 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)5年生まれ。紀麻呂の孫。紀広浜の父。宝亀(ほうき)11年蝦夷(えみし)の伊治呰麻呂(いじの-あざまろ)の反乱の際,征東副使。式部大輔(たいふ),中衛中将などをへて,延暦(えんりゃく)4年参議。7年征東大使となり,翌年ふたたび蝦夷を攻めるが,陸奥(むつ)衣川阿弖流為(あてるい)の軍に惨敗する。のち正三位,大納言。延暦16年4月4日死去。65歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

紀古佐美

没年:延暦16.4.4(797.5.4)
生年:天平5(733)
奈良時代公卿。麻呂の孫,宿奈麻呂の子。天平宝字8(764)年10月従五位下。丹後守,兵部少輔,式部少輔,伊勢介,右少弁を経て,宝亀11(780)年3月蝦夷で伊治呰麻呂が反乱を起こすと征東副使に任命され,大使藤原継縄と共に陸奥(東北地方)へ赴いた。戦果は少なかったが天応1(781)年9月帰京し従四位下,勲4等を授けられた。のち式部大輔,中衛中将などを経て,延暦4(785)年4月参議。さらに春宮大夫,左右大弁を歴任し,7年7月征東大使となった。兵士を動員し,食糧を十分に多賀城(多賀城市)に運びこんだ上での征討軍であったが,蝦夷の族長阿弖流為のために大敗を喫した。しかし中央に対し虚偽の報告をし,帰京後問責された。蝦夷征討はこの2年後坂上田村麻呂の登場によって進展した。12年1月,大納言藤原小黒麻呂らと共に遷都のために山背国葛野郡宇太村(京都市北区,右京区)を視察した。15年7月正三位大納言。

(寺崎保広)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

きのこさみ【紀古佐美】

733‐797(天平5‐延暦16)
平安初期の官人貴族。麻呂の孫,宿奈麻呂の子。764年(天平宝字8)従五位下。丹後守,式部少輔,右少弁を歴任。780年(宝亀11)蝦夷の反乱の際,征東副使に任ぜられ,翌年陸奥守となり,労によって従四位下勲四等に叙された。その後参議左大弁となったが,788年(延暦7)再び征東大使に任じた。翌年春,諸国の軍を多賀城に集結し,賊地に進攻したが,衣川で蝦夷の反撃をうけて惨敗を喫した。同年9月帰京し,敗軍の責任を問われたが,年来の奉仕のゆえにとくに許された。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

紀古佐美
きのこさみ
(733―797)

平安前期の律令(りつりょう)官人。宿奈麻呂(すくなまろ)の子。764年(天平宝字8)従(じゅ)五位下(げ)に叙してより、左兵衛督(さひょうえのかみ)、左中弁、式部大輔(たいふ)や陸奥(むつ)・但馬守(たじまのかみ)などの内外官を歴任、785年(延暦4)参議、794年中納言(ちゅうなごん)正三位(しょうさんみ)、796年大納言に上った。この間、780年(宝亀11)征東副使に任ぜられ、翌年にかけて蝦夷(えみし)反乱の鎮定にあたる。また788年(延暦7)には征東大使に任じ、翌年3月諸国の兵を多賀城に会して賊地に侵攻した。しかし官軍は衣川(ころもがわ)で大損害を受け、9月には戦果のないまま帰京。朝廷は敗将の罪を勘問・処断したが、古佐美は従前の勤労によってとくに免ぜられた。延暦(えんりゃく)16年4月4日没したのち贈従二位。[谷口 昭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

紀古佐美の関連キーワード平安時代(年表)安倍猨嶋墨縄紀真人(2)会津壮麻呂征夷大将軍藤原高房紀咋麻呂道嶋御楯池田真枚紀末成谷口賢憬

今日のキーワード

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android