日本歴史地名大系 「紫村」の解説
紫村
ちくしむら
- 福岡県:筑紫野市
- 紫村
嘉吉元年(一四四一)八月二四日の少弐教頼安堵状写(筑紫古文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)によれば「三笠郡筑紫村地頭職并庄分」などが筑紫下野入道に安堵されており、筑紫氏の本領として相伝される名字の地であった(永正九年閏四月一五日「杉興長書下」満盛院文書/大宰府・太宰府天満宮史料一四)。いっぽう「征西大将軍宮譜」によれば、南朝方の武将宗重澄は正平一五年(一三六〇)七月「筑紫大原」で負傷しており、南北朝期に当地付近が合戦場となっていたらしい。その後、明応六年(一四九七)三月二〇日の大内義興感状(三浦家文書/大日本古文書一四)によれば、三月一五日に「筑紫村并城山」で合戦があり、その際の仁保護郷の戦傷が義興より賞されている。
紫村
むらさきむら
紫村
むらさきむら
紫村
つくしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報