細胞の核を除く細胞質部分,とくにミトコンドリアや色素体のような細胞小器官organelleに存在する遺伝子とそれに支配される形質の遺伝を細胞質遺伝という。核外遺伝と同義に用いられることもあるが,厳密には核外遺伝は細胞質遺伝と感染遺伝の総称である。
真核生物の細胞では,核・ミトコンドリア・色素体(植物のみ)のような細胞内の各種小器官はそれぞれ2層の膜に包まれており,互いに分化した機能をもっている。核には細胞DNAのほとんどが局在しており,遺伝情報を保存し,複製し,かつ転写する機能を担っている。一方,オルガネラと総称される他の細胞小器官のうち,ミトコンドリアと色素体はそれぞれ呼吸と光合成をつかさどっており,ともに少量のDNAを含んでいる。もっとも古くはコレンスC.Correns(1909)が細胞の核以外の細胞質部分にも遺伝因子が存在することを推測し,細胞質遺伝子plasmageneと名づけた。しかし,細胞小器官に存在するDNAが細胞質遺伝子の本体であることが明らかになったのはごく最近のことである。
核内遺伝子と同じように,細胞質遺伝子の本体はDNAであるので,DNAから遺伝情報が発現される過程は核内遺伝子の場合と異ならない。両者の重要な相違点は二つあるが,その一つは存在する場所である。核内遺伝子は核にあって染色体の一部分をなしているのに対し,細胞質遺伝子は細胞小器官に含まれており,そのDNA分子の一部を占めている。所在が明らかな細胞質遺伝子はその器官名を冠して,ミトコンドリア遺伝子・葉緑体遺伝子というふうに呼ばれる。
もう一つの大きな違いは伝達様式である。核内遺伝子とその支配形質はメンデルの法則に従って両親から子どもに伝えられるのに対し,細胞質遺伝子とその支配形質はふつう母(雌)親からのみ,したがって単親的に子どもに伝達される。例えば,オシロイバナのアルビノ(正常葉緑体を欠き,白色を呈するもの)の枝についた花に正常な緑色の枝についた花の花粉を交配すると,その種子から得られる芽生えはすべてアルビノになる。逆に,緑色の枝についた花にアルビノの枝についた花の花粉を交配すると,その種子から生える植物はすべて緑色になる。雑種トウモロコシや一代雑種テンサイの育種に利用されている雄性(花粉)不稔や,アカパンカビの呼吸欠損も母(雌)親を通して単親的に遺伝する。しかし,細胞質遺伝子が花粉(雄)親から伝達する場合も知られている。イヌハッカやモンテンジクアオイではアルビノの枝についた花に緑色の枝についた花の花粉を交配すると,次代植物は白色と緑色の斑入りとなる。これは花粉親の正常葉緑体とそれに含まれる細胞質遺伝子(葉緑体遺伝子)が次代に伝わることを示している。この場合でも,細胞質遺伝子が母親から伝達する割合は花粉親からの伝達率に比べ,はるかに高い。このような細胞質遺伝子およびその支配形質の単親性ないしは単親性に準じた遺伝様式を細胞質遺伝と呼んでいる。
細胞質遺伝をするもののうち,ミトコンドリア遺伝子支配であることが確実なものはミトコンドリアに含まれるリボソームRNA,多くのメッセンジャーRNAおよび呼吸に関係するチトクロムbやチトクロムc酸化酵素である。また,酵母ではエリスロマイシンやカルボマイシンのような薬剤に対する抵抗性もミトコンドリア遺伝子支配である。トウモロコシでは雄性不稔を誘発するテキサス(T)型細胞質を利用して雑種トウモロコシが実用化され,1940年代後半から世界中で大規模に栽培されるようになったが,67年にごま葉枯れ病菌にT型と呼ぶ新レースが出現し,そのまんえんによってアメリカなどの雑種トウモロコシは69年から70年にかけて壊滅した。この病原菌の培養ろ液から分離したT毒素に対し,T型細胞質をもつトウモロコシのミトコンドリアが特異的に反応することから,本病菌に対する罹病性はミトコンドリア遺伝子支配と考えられている。
葉緑体遺伝子による支配が確実なものとしては,葉緑体に含まれるリボソームRNA,メッセンジャーRNA,光合成に関与するリブロース-1,5-二リン酸カルボキシラーゼ,オキシゲナーゼ(分画Ⅰタンパク質)の大サブユニット,ATP合成酵素のβとεサブユニットがある。分画Ⅰタンパク質は大,小2種のサブユニットからなるが,このうち大サブユニットのみが葉緑体遺伝子支配である。このほか,タバコのストレプトマイシン抵抗性や黒斑病菌のつくるテントキシンに対する感受性,また,いろいろの植物で細胞質遺伝をすることが知られているアルビノなどの葉緑体異常も葉緑体遺伝子支配とみなされている。
→遺伝
執筆者:常脇 恒一郎
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細胞質中にある遺伝子に支配される形質の遺伝。核外遺伝あるいは染色体外遺伝ともいう。細胞質遺伝の様式はメンデルの法則に従わず、母親の形質のみが子孫に伝えられることから、母性遺伝とよぶこともある。遺伝子の本体はDNA(デオキシリボ核酸)であり、主として細胞の核にあるが、細胞質中の葉緑体、ミトコンドリア、ゴルジ体のような小器官にも少量含まれている。このような細胞小器官のDNAは細胞質遺伝子として、核の遺伝子とは独立に複製され、細胞質遺伝形質の発現に働く。有性生殖のとき、卵細胞など雌性配偶子は細胞質をもつが、精子などの雄性配偶子は細胞質をもたないか少量しかもたず、受精卵の細胞質は雌性配偶子に由来することが多い。したがって、細胞小器官のもつDNAに支配される子孫の遺伝形質はつねに雌親と同じものとなり、分離がみられず、遺伝様式は非メンデル遺伝となる。
葉緑体遺伝子に突然変異がおこった斑入(ふい)り植物の例では、全緑雌×斑入り雄の交雑からは全緑株のみが得られ、その逆交雑の斑入り雌×全緑雄からは主として斑入り株が得られる。このように雌雄の形質を入れ替えて正逆交雑を行ったとき、異なる分離がみられるのが細胞質遺伝の特徴である。プチーとよばれる呼吸欠損性の酵母は、酸素呼吸ができず発酵により成育し、小形集落をつくる。プチーはミトコンドリア遺伝子の突然変異体であり、呼吸欠損性は細胞質遺伝形質の好例とされている。
細胞小器官以外に細胞質中に自己増殖性の粒子があり、細胞質遺伝の原因となることがある。ゾウリムシの例では、DNAを含むカッパ粒子をもつものはほかのゾウリムシを殺すキラーとなるが、キラー形質は細胞質遺伝をする。このような細胞質粒子は細胞質に寄生したウイルスや細菌に由来するものと考えられている。細胞質にウイルスや細菌が感染することにより細胞質遺伝と類似の現象を示すことがあるが、このような場合は、普通、感染遺伝として区別される。
細胞質内で染色体とは別個に自己増殖することができる構造体はプラスミドと総称される。プラスミドのもつ遺伝子は細胞質遺伝子として働く。プラスミドを分離して人工的に各種の遺伝子を連結し、細胞質中に再導入し発現させる技術は遺伝子のクローン化といわれ、遺伝子工学分野で盛んに用いられている。
[石川辰夫]
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[遺伝の様式]
ふつうの生物,すなわち真核生物の場合,遺伝子は核と細胞質の両方に存在している。核に存在する遺伝子を核内遺伝子または単に遺伝子というのに対し,細胞質中の遺伝子を細胞質遺伝子またはプラズマジーンという。核内遺伝子およびこれに支配される形質は原則として両親性の遺伝を行い,メンデルの法則に従って後代に伝わる。…
…しかし,生物は核内遺伝子以外にも遺伝因子をもつ。その一つはミトコンドリアや色素体のような細胞小器官に存在するその生物固有の遺伝子で,細胞質遺伝子とよばれる。細胞質遺伝子およびこの遺伝子に支配される形質の遺伝を細胞質遺伝という。…
…父(雄)親の遺伝子が関与せず,母(雌)親の遺伝子だけで子どもの表現型が決定される遺伝様式をさし,細胞質遺伝と遅発遺伝delayed inheritanceに分かれる。 遅発遺伝は母親の遺伝子型が直接子どもの表現型を決定するもので,したがって雑種第2代では表現型の分離が起こらず,第3代にもちこされるためにこう呼ばれる。…
※「細胞質遺伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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