日本大百科全書(ニッポニカ) 「総持寺祖院」の意味・わかりやすい解説
総持寺祖院
そうじじそいん
石川県輪島(わじま)市門前町門前(もんぜんまちもんぜん)にある曹洞(そうとう)宗の寺。諸嶽(しょがく)山と号する。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。神奈川県横浜市の鶴見に総持寺が移転する前の曹洞宗大本山。総持寺はもと諸嶽寺観音(かんのん)堂という真言(しんごん)寺院であったが、1321年(元亨1)4月、住持の定賢(じょうけん)が瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)に帰依(きえ)してこの寺を譲ったと伝えられる。第2世峨山韶碩(がさんじょうせき)は42年の間住持して寺門の興隆に努め、以来、越前(えちぜん)(福井県)永平寺と競い合いながら発展した。しかし1898年(明治31)4月13日、火災により伽藍(がらん)を焼失。それを機会に1907年(明治40)、鶴見に大本山を移し、その跡に新たに伽藍を建立して別院と称したが、のち祖院と称するようになった。寺内は広く、山門、経蔵、仏殿、法堂(はっとう)、僧堂、慈雲閣などが建ち並び、往時のおもかげを伝えている。うち経蔵は加賀前田家より寄進されたものといわれ、県指定の文化財。寺宝に狩野元信(かのうもとのぶ)筆と伝えられる花鳥図二幅、頻毗婆羅(びんびばら)王・韋提希夫人(いだいけぶにん)像二幅、十六羅漢図16幅などがある。
[菅沼 晃]