中国、清(しん)朝が外国貿易のために置いた関税徴収機関。
[浜下武志]
清朝初期に海寇(かいこう)防衛を目的として海禁策がとられたが、1685年に至り、江(上海(シャンハイ))、浙(せつ)(寧波(ニンポー))、閩(びん)(厦門(アモイ))、粤(えつ)(広州)の4海関が設置された。粤海関には中央から監督を特派し、納税は特許商人たる公行に請け負わせて巨利をあげた。1757年からは外国貿易を広州(広東(カントン))1港に限ったが、貨物税および船舶税以外の多額の付加税や手数料、さらにはアヘン問題で外国と軋轢(あつれき)を生じた。
[浜下武志]
1842年の南京(ナンキン)条約により、上海、寧波、福州、厦門、広東が開かれ、従価5%税などの片務的税率が施行された。開港直後は各国領事が自国商人から徴収したが、51年からは中国側海関道がその任にあたった。53年、小刀会(しょうとうかい)の乱により上海の江海関が閉鎖されると、イギリス、アメリカ、フランス3国の領事が輸出入税を代徴し、翌年上海道台による徴収に復したが、通商条約の履行問題に関する外国側の不満は絶えなかった。
[浜下武志]
1854年、上海道台呉健彰は、イギリス領事オールコックR. Alcockが提案したイギリス、アメリカ、フランス3国の代表からなる関税管理委員会の設置を受け入れ、ここに外国人税務司による海関管理が始まった。58年の天津(てんしん)条約に伴う通商条約の改定に際し、各開港場に外国人税務司が配置され、イギリス人レイH. Layが初代海関総税務司に任命された。60年に総理衙門(がもん)が新設されると海関もその管轄下に移り、63年にはイギリス人ロバート・ハートR. Hartが総税務司となった。彼はいわゆる治外法権的中国官吏として、40余か所に及ぶ海関運営の拡充を図ると同時に、海関税が清朝政府の対外借款の担保として重要性を増すに伴い、借款交渉の仲介を果たした。
[浜下武志]
中央機関たる総税務司署の下に徴税部、海事部、工務部が置かれ、1882年以降、海関郵政部も運営され、後の大清郵政局の基となった。また、統計処からは貿易統計をはじめ各種報告類が発行された。税則は、従価5%の輸出入税のほか、通過税としての子口半税、沿岸貿易税(復進口税)、トン税(船鈔(せんしょう))などからなり、1858年にアヘン輸入が公認されてからはアヘンには別途課税された。98年イギリス公使マクドナルドは総理衙門に対し、総税務司につねにイギリス人を任用すべきことを約させ、イギリスの権限を確立した。海関は、1906年に税務処の下に、また民国以降は財政部および税務処の下に統轄された。
[浜下武志]
中国,海港におかれた税関。常関(旧関)と洋関(新関)とあり,19世紀中期をはさんで2段階に分かれる。1685年(康煕24),清朝は海禁を解除し,粤(えつ)(広州),閩(びん)(漳州),浙(せつ)(寧波(ニンポー)),江(上海)の4海関をおいて,中国人の沿海貿易と外国人の朝貢貿易を管理し,関税を徴収した。関税徴収は特許貿易商の公行Cohongが代行した。長官は監督で,満人官僚が任命された。海関の沿革は古く,唐・宋時代以来の市舶司制度にもとめられる。1757年(乾隆22),外国貿易は広州1港に制限され,いわゆる広東Canton貿易がはじまる。関税は船税(船鈔,入港税)と貨税(物品税)があるが,正税・付加税のうえに規銀という多額の非公式礼金を支払わされた。輸出茶1ピクル(約60kg)につき,正税1両,付加税3両が,実徴額は6両にもなり,イギリス人はこれを不当として引下げを要求し,のちアヘン戦争開戦の要因の一つになった。
アヘン戦争後,5港が開港され,洋関がおかれたが(各常関に並置),太平天国がおこると,上海海関に英米仏人による関税管理委員会が設けられ,1858年(咸豊8),英清天津条約の通商章程により洋関の外国人管理がはじまった。すなわち海関は北京駐在の外人総税務司の下に,各港の海関に税務司以下の外人職員をおいて管理し,清朝側の海関監督は名目的存在となった。外人総税務司は,新設の総理衙門(がもん)に直属し,海関税収入を管理したが,以来海関税収入は着実に増加し,清朝財政の一大収入源となるとともに,その後,李鴻章ら地方大官が導入した洋式産業の資金源となった。19世紀末の日清戦争,義和団事件以後,海関税はさらに賠償金および外債の担保となった。20世紀となり民国以後,民族主義の高まりにつれて,関税自主権の回復運動もあったが,海関の外人管理は中華人民共和国の発足までつづいた。
執筆者:北村 敬直
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清代,開港場に設けられた税関。1685年海禁解除とともに初めて4海関(上海,定海,厦門(アモイ),広州)が設置された。1757年外国貿易は広州1港に制限されたが,1842年5港が開港され,58年天津条約でさらに開港場が追加され,その管理に外人税務司制度が採用された。この新制度による海関を,旧制度の旧関あるいは常関に対して新関あるいは洋関と称する。
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…その代表的な例として東海道の箱根・新居(あらい)(今切),中山道の碓氷(横川)・木曾福島,日光(奥州)道中の栗橋,甲州道中の小仏以下の諸関があげられる。こうした陸上の関所に対比されるものに,江戸湾警備などを目的とする相模の三崎・走水,伊豆の下田(のち浦賀)などの各海関がある。また特殊なものとして,異国船警備のために福岡藩,佐賀藩などが交代で詰める長崎の西泊・戸町両番所のごときは,幕府の関所として明確に認識されていた。…
※「海関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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