中国,清末に設立された洋務および外交事務をつかさどる中央機構。総理各国事務衙門の簡称。また,総署,訳署ともいう。第2次アヘン戦争末期における外交交渉の過程で,外交を専管する中央組織の必要性が内外双方から要請され,1861年(咸豊11)1月に総理衙門が設立された。親王が総理し,大臣(総署大臣)が軍機大臣,大学士,尚書,侍郎,京堂から選ばれて兼任した。当初は恭親王奕訢(えききん),大学士桂良,軍機大臣戸部左侍郎文祥の3人で構成されたが,後には通常7~8人で構成された。これら王大臣の下に章京(書記官)が内閣,部院,軍機処の司院から満漢8名ずつ選ばれ(のちに総計20名),事務処理に当たった。付属機関には同文館,海関総税務司署があり,また南・北通商大臣を管轄し,出使大臣(在外公使)の選抜に当たった。このように総理衙門は外交を総覧し,外国とのあいだに生ずる財政・軍事・教育・鉱務・交通問題を取り扱ったが,各省督撫に対する指揮権はもたなかった。1901年(光緒27)の義和団議定書により総理衙門は廃され,外務部が組織されて六部の首位に置かれた。廃止に至る40年間,恭親王奕訢は28年間,慶親王奕劻(えききよう)は12年間,首席の任に当たった。
執筆者:浜下 武志
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