遊女,芸者などを抱え,あるいは居住させる業態の家。遊郭における揚屋(あげや)に対し,遊女を送り込む側を置屋と称したものであろう。女郎屋を〈おきや〉と呼んだ古い例として《瓢金窟》(1747)が挙げられるが,同じ性格であるため芸者屋も置屋と呼ぶことがあった。正確には女郎置屋や芸者置屋であるが,俗語としては単に置屋で通用した。置屋は遊女や芸者を居住させるだけで,客をあげて遊興させないことが原則であり,この意味で吉原の女郎屋には置屋の別称は生じなかった。置屋の語がおもに関西地方で用いられたのは,揚屋制の発達と関係がある。ただし,芸子(げいこ)・白人(はくじん)などの私娼(ししよう)の場合は,客をあげても単に置屋とだけ呼ばれた。明治以後は,女郎屋に貸座敷という公用語が適用されたので,もっぱら芸妓に用いて芸妓置屋といい全国に通用することになったが,その組合などは芸妓屋組合と称する例が多い。なお,関西では芸妓の住居を屋形と俗称し,自前屋形と店屋形とに分かれた。また,第2次大戦後に,一部の地方で芸妓置屋を芸妓下宿業と称した。
執筆者:原島 陽一
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遊女や芸妓(げいぎ)を抱えている家。遊女と遊興する揚屋(あげや)に対して、遊女を置いておく家という意味で、遊女屋を置家と別称するようになった。したがって、置屋へ客をあげることは違法であるが、厳密に守られたわけではない。女性を置かずに遊興の場所を提供するだけの家に対し、なんらかの形式で女性を置く家を置屋とよんでいた。明治維新後の遊廓(ゆうかく)制度では遊女屋を貸座敷と公称したが、俗称としては置屋も使われていた。しかし、芸者屋、子供屋とよばれていたものを芸妓置屋と改めたので、置屋はその略称として使用されることが多い。関西では芸妓の住居を家形(やかた)と俗称したが、土地によっては置屋と混同している。
[原島陽一]
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…江戸時代に線香1本の燃える時間を単位とし,これを○印で記帳したなごりで,今はこれを時間に換算して用いている(例えば1本を40分または60分などと定める)。芸者は,少数の自前芸者,看板借りのほかは芸者屋(置屋)に前借金を負い,金額,年期により,丸抱え,七三,叩分け(たたきわけ),逆七などと収入の配分比率を契約した一種の身売が多かった。1947年以後は公安委員会の監督下におかれ,前借金による身売の禁止とともに,芸者屋に住み込む必要がなくなり,通勤の芸者も現れた。…
※「置屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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