義経神社(読み)よしつねじんじや

日本歴史地名大系 「義経神社」の解説

義経神社
よしつねじんじや

[現在地名]沙流郡平取町本町

沙流さる川中流域左岸、平取市街北東部の高台に位置する。旧郷社祭神源義経。明治三四年(一九〇一)の水害以前は、現社地より数町上流のハヨヒラの丘にあった。一七九九年(寛政一一年)幕吏近藤重蔵らがモンベツ(門別)とビラトリ(平取)とに寄進した源義経神像を安置するためにモンベツ会所が両所に社祠を造営したことをもって創建とされるが(平取外八箇村誌)異説も少なくない。神像は江戸神田かんだ住大仏工法橋善啓の作になる木像で、近藤重蔵・比企市郎右衛門の名と寛政一一年四月二八日の年紀が刻されている。重蔵らが義経神像を安置させた背景には、義経の蝦夷地渡海伝説とアイヌの文化英雄神説話とを重ね合せて位置付け、和人によるアイヌ支配の正統性の論拠としようとする、当時流布していた解釈があった。

当社は義経渡海伝説を反映して創建されたという経緯もあり、蝦夷地踏査の幕藩吏などの関心をひき、多くの紀行類にその記述がある。創建の事情については一七九八―九九年、近藤重蔵の蝦夷地視察に随行した木村謙次の日記に「アヨヒラ義経の旧跡あり 川岸より南向にして岸壁の上を古蹟ト云」(寛政一一年一一月一一日条)、「早起アヨヒラニ往 余金平支配人番人夷弐十人召連祠を立る所を地堅メ成就」(同月一五日条)などとみえ、重蔵が義経館跡との伝承があるビラトリのハヨヒラの丘に小祠を建立したことが示されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「義経神社」の解説

義経神社

北海道沙流郡平取町にある神社。源義経を祀る。1799年創建と伝わるが異説もある。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android