義荘(読み)ぎそう(英語表記)Yì zhuāng

改訂新版 世界大百科事典 「義荘」の意味・わかりやすい解説

義荘 (ぎそう)
Yì zhuāng

中国,北宋の1050年(皇祐2),范仲淹郷里蘇州で設置したことに始まり,人民中国の誕生まで各地に存在した同族救済のための施設。本来は義田に付設された屋舎を指すが,一般には田・屋総称して義荘という。義荘は一族の有力者の寄付,あるいは共同の出資によって設けられ,その収益は同族内の貧困者の扶養冠婚葬祭子弟の教育などに使用された。また多くの場合,設置者は義荘の管理・運営に関して規約(義荘規条)を作成し,子孫に遵守させた。地域的には,宋以降地主制の発達した華中・華南に多く,1000畝以上の大規模なものも見られた。義荘の〈義〉はもともと〈衆と共にする〉という意味で,同族を超える範囲までも含んでおり,義荘の中には同郷同村を救済の対象とするものもあった。唐・宋の変革以後の社会において,地主の主導下でなされた秩序再編の一つの表れが,義荘であったと考えられよう。
族田
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「義荘」の意味・わかりやすい解説

義荘
ぎそう

中国で一族共有の田土を設け、その租入で経済的扶助を行う方法。北宋(ほくそう)の仁宗(じんそう)(在位1022~63)時代の副宰相范仲淹(はんちゅうえん)が華南の郷里蘇州(そしゅう)に1000余畝(ほ)(1畝は約544平方メートル)を買って設けたのに始まるといわれる。その特色は、族人に親疎貧富の別なく平等に米を与えることにあった。范氏の義荘は明(みん)の一時を除けば発展する一方で、これに倣う官僚も各地に現われ、南宋の世には江蘇浙江(せっこう)を中心に華南に多く生じ、華北東部にもみえ、明(みん)・清(しん)に及んだ。また南宋のころから孤老や貧乏な者に限る場合が多く、共同祭祀(さいし)や教育費などに及ぶこともあった。

[青山定雄]

『清水盛光著『中国族産制度攷』(1949・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「義荘」の意味・わかりやすい解説

義荘
ぎそう
yi zhuang

中国で 11世紀以後行われた同族の共有地をいい,同族結合の経済的基礎をなす仕組み。小作料で同族を扶養し,子弟を教育し,祖先の祭祀を行い,その他経済的な福利をはかった。北宋仁宗の皇祐2 (1050) 年,范仲淹が,同族のために寄付して,蘇州につくった范氏義荘がその最初といわれ,後世まで義荘の範となった。『初定規矩』によれば,貧富の差別なく,同族の5歳以上の男女に,一律に1人白米1升を支給し,とつぐ女には銭 30貫,妻をめとる者には 20貫を支給し,その他子弟の官に出る者,葬喪への支出などが規定されている。義荘は江南に多く,華北に少なかったという。

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旺文社世界史事典 三訂版 「義荘」の解説

義荘
ぎそう

中国で宋代以後,同族扶助のために作られた施設。義田ともいう
1050年范仲淹 (はんちゆうえん) が設立した范氏義荘が起源。義は奉仕の意。同族共有地からの収入で,同族の扶養,祖先の祭祀,共同防衛,子弟の教育,貧困者の援助などを行った。

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普及版 字通 「義荘」の読み・字形・画数・意味

【義荘】ぎそう

義田。

字通「義」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の義荘の言及

【義】より

…義はほかに公共性や慈善性を意味する場合がある。〈義倉〉(飢饉用の公共の米倉),〈義舎〉(旅人のための公共宿舎),〈義冢(ぎちよう)〉(無縁仏のための共同墓地),〈義荘〉(一族の貧者のための田地)などの語がそれをあらわす。また,〈義父(養父)〉,〈義児(養子)〉,〈義兄弟〉のような言葉もある。…

【族田】より

…中国,宋代以降あらわれた義荘・祭田等同族的土地所有。義荘は11世紀半ば,范仲淹(はんちゆうえん)の設立した〈范氏義荘〉にはじまる。…

※「義荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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