能勢妙見堂(読み)のせみようけんどう

日本歴史地名大系 「能勢妙見堂」の解説

能勢妙見堂
のせみようけんどう

[現在地名]能勢町野間中

能勢町・豊能町と兵庫県川西かわにし市との境界にある妙見山(六六〇・一メートル)山頂にある。俗に能勢妙見として知られ、本尊は妙見大菩薩。地黄じおう日蓮宗真如しんによ寺に属する。草創については二説ある。寺伝によれば、当地には天平勝宝年中(七四九―七五七)行基開基の為楽山大空寺と称した真言宗寺院があった。天正八年(一五八〇)領主能勢頼次はその本城である地黄の丸山まるやま城落城後に、この大空寺跡に大空寺城を築いて居城し、併せて鎮宅霊符神を祀った。同神は能勢氏の始祖源満仲が家鎮として祀ったのに始まるとされるが、慶長一〇年(一六〇五)頃から元和年間(一六一五―二四)にかけて前記頼次が日蓮宗に帰依して甲斐国身延山久遠寺二一世の日乾を請じ、領内の寺院を同宗に改宗したとき、鎮宅霊符神も妙見大菩薩としたという。この時、日乾は自作の妙見大菩薩の尊像を頼次の長男頼重に与え、これは大空寺城跡に安置された。これが今日の能勢妙見であるという。一方、むかし野間のま村の山中降野ふりのという地があり、そこへ手鞠ほどの大きさの光り物が天降り、榎の枝の上で光り輝いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「能勢妙見堂」の意味・わかりやすい解説

能勢妙見堂
のせみょうけんどう

大阪府豊能(とよの)郡能勢町野間中(のまなか)にある寺。日蓮(にちれん)宗真如(しんにょ)寺に属する。本尊は妙見大菩薩(だいぼさつ)。妙見山の山頂にあり、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)年間(749~757)行基(ぎょうき)の開創する真言(しんごん)宗の為楽山大空寺に淵源(えんげん)すると伝え、また多田(源)満仲(みつなか)の子孫能勢左馬頭頼国(さまのかみよりくに)が長元(ちょうげん)年間(1028~37)開創したともいう。1605年(慶長10)能勢頼次(よりつぐ)が日蓮宗に帰依(きえ)し、身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)21世日乾(にっかん)を請(しょう)じて日蓮宗に改宗した。妙見菩薩は国土を守り災害を鎮め福寿を益す菩薩で、江戸時代中期より参詣(さんけい)人多く、幕末妙見講を結んだ村は100か村に上った。修験道(しゅげんどう)の道場でもあり、滝の信仰がある。開運殿は1787年(天明7)、経堂・絵馬堂は1796年(寛政8)の建立。歳始祈祷会(きとうえ)(1月1~3日)、星祭祈祷会(3月節分)、妙見大菩薩年大祭(5月15日)を行い、2月初午(はつうま)、4月勝利祭、7月虫払いはにぎわう。

[田村晃祐]

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