能田多代子(読み)ノウダ タヨコ

20世紀日本人名事典 「能田多代子」の解説

能田 多代子
ノウダ タヨコ

昭和期の民俗学者



生年
明治23(1890)年1月31日

没年
昭和45(1970)年6月12日

出生地
青森県五戸町

旧姓(旧名)
三浦

主な受賞名〔年〕
青森県褒賞〔昭和36年〕,東奥賞(第20回)〔昭和42年〕

経歴
五戸小学校で代用教員を務め、大正1年六戸町に嫁ぐが、すぐに離婚して上京。運輸省勤務を経て同郷の鳥谷部陽太郎が主宰する雑誌「兄弟通信」製作に従事、その間に知り合った能田太郎と12年に結婚した。のち柳田國男や詩人福士幸次郎の影響を受けて夫婦ともども民俗学研究を志し、夫の郷里熊本に移住、青森県五戸や九州の民俗調査に当たった。昭和11年に夫と死別ののち再上京し、下宿屋晴好寮をはじめる一方で柳田に師事。以後、民俗や方言民話などにおける五戸と熊本との比較を専門に研究を進め、女性民俗研究の第一人者として知られた。五戸の地域や生活に根ざした研究活動が評価され、36年青森県褒賞、42年第20回東奥賞を受賞。日本民俗学会名誉会員。著書に「五戸の方言」「村の女性」「青森県五戸語彙集」「手っきり姉さま」などがあり、旧蔵資料は青森県立図書館に寄贈された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「能田多代子」の解説

能田多代子 のだ-たよこ

1890-1970 昭和時代の民俗学者。
明治23年1月31日生まれ。柳田国男にまなび,瀬川清子とともに女性の民俗学研究の草分けとして活躍。郷里の青森県五戸(ごのへ)地方の方言や民間伝承採集,記録した。昭和45年6月12日死去。80歳。旧姓は三浦。著作に「村の女性」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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