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臈纈 ろうけち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

臈纈
ろうけち

染織用語。「ろうけつ」とも読み,蝋纈とも書く。またろうけつ染ともいう。東南アジア産のものを特にバティックという。ろうまたは樹脂を防染剤として模様を染め出す技法。ろうなどの掛かった部分には染料がつかないで,生地の色がそのまま残り,他の部分が染まる。ろうなどの防染剤を筆で描いて模様をつける方法と,型につけて織布や皮革に移す方法との2方法に大別される。日本にはインドから中国を経て渡来し,飛鳥~奈良時代に盛んに行われたが,その後長くとだえ,大正期に復興し,現代にいたっている。西洋の臈纈は,西洋人の東漸が激しくなって,東洋の織物が大きな流行を示した 17世紀頃にマレーのろうけつ染が入ったが,技術はやや遅れて 18世紀頃から始った。

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百科事典マイペディアの解説

臈纈【ろうけち】

蝋を防染剤とした模様染。飛鳥・奈良時代に中国から伝えられた技法で,正倉院などには,版木で模様を彫り蝋をつけて押して地染した裂(きれ)が残されている。奈良時代以後長くとだえたが,20世紀になって蝋纈(ろうけつ)染として復活した。
→関連項目【きょう】纈纐纈染物

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


ろうけち

(ろう)染めの古名。「ろうけつ」ともいう。蝋で帛布(はくふ)の部分を覆って防染することにより、模様を染め表した染色品。中国では新疆(しんきょう)省の民豊尼雅(ニヤ)の東漢墓(2~3世紀)より、蝋染めの木綿布が数種発見されており、きわめて早い時期からこの種の技法が知られていたことがうかがわれる。これらの木綿布の蝋染めに対し、隋(ずい)・唐代には絹地の蝋染めが発達し、日本には奈良時代にその技法が伝えられた。正倉院の染色品のなかには『東大寺献物帳』(国家珍宝帳)所載の纈屏風(びょうぶ)をはじめ、その他幡(ばん)、装束など数多くの資料が残されている。纈の施されている裂(きれ)地は、(あしぎぬ)や羅など薄地の絹がもっとも多く、綾(あや)や布地のものはきわめて少ない。
 技法は、蝋で片面に防染を施し、染料に浸(つ)けて染めたもので、普通生地(きじ)の色と染め色一色のものが多いが、なかには、途中で蝋を加えながら、二色、三色と重ねて染めた多色のものもある。また蝋で模様を置くのに、スタンプのような型が用いられており、型を1種あるいは2種組み合わせて単位模様とし、これを並列あるいは散らし模様としている。また単位模様をさまざまに使い分け、あわせ用いて、より大きな図様を構成したものもあり、先の纈屏風のように絵画的な模様を染め出すには、型のみでなく、筆による修正や補筆が行われている場合もある。
 奈良時代を過ぎ平安時代に入ると、『延喜式(えんぎしき)』にはその名称がみえているものの、その後纈の技術はいつしか衰退し、以後近代に至るまでほとんど行われていない。おそらくこれは、平安時代の貴族の服飾形態からくる織物偏重の風潮と、また遣唐使の廃止により公の交易が閉ざされるにつれ、蜜蝋(みつろう)のような素材の流入がとだえたことに起因するものと思われるが、その経緯は明らかでない。
 近世になると江戸後期の小袖(こそで)の雛型(ひながた)本のなかに「ろうぞめ」と記されたものがみえ、若干蝋染めが行われていたものと思われるが、その作例は今日まったく残っていない。したがって一般には、近代のいわゆる蝋染めの普及は明治以降と考えられている。近代の蝋染めは奈良時代の纈とはまったく系統を異にし、ジャワのバティックから新しく技術を学び取ったものであるといわれている。纈との大きな違いは、蝋置きに際して型を用いるようなことはせず、蝋を筆につけて模様を自由に描いていくもので、その技法は現在も染色作家たちによって活用されるほか、手芸的な革染めにも応用されている。[小笠原小枝]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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