改訂新版 世界大百科事典 「臨時金利調整法」の意味・わかりやすい解説
臨時金利調整法 (りんじきんりちょうせいほう)
第2次大戦以前は,日本の金融機関は貸出金利についても,預金金利についても相互に協定を結ぶ非競争的な決定の慣行を定着させていた。敗戦後のインフレーションの激化の中で,金利を規制する必要は戦前以上に強くなっていたが,1947年に制定された独占禁止法の自由競争体制の下では,戦前から続く私的な協定による金利決定の方法は,違法行為である〈不当な取引制限〉に該当すると考えられた。そこで銀行,信託会社,保険会社,無尽会社,農林中央金庫,商工組合中央金庫等の金融機関の金利の最高限度を大蔵大臣が公定する方法を取り,従来の協定に代えることとし,制定されたのが本法である。
臨時という名称にも現れているように,当初は一時的な法律と考えられていたが,結果において,1993年の定期性預金金利の自由化の実施に至るまで,長く日本の金利を大蔵大臣の規制に服せしめる手段として機能した。そのメカニズムは,全国の金融機関が実際に行う預貯金の金利,定期預金の利回り,指定金銭信託の予定配当率,貸付利率,手形割引率,当座貸越利率,コールローン等の利率,有価証券の引受料等を対象として,大蔵大臣が日銀の政策委員会に,これらの金利の最高限度の決定,変更,廃止を行わせ,金融機関にそこで定められた金利の最高限度を超えて契約をし,支払いをし,受領をすることを禁じるというものであった。
このような規制金利は,一方で金融機関相互の競争が激化することを防止し,金融経済の安定をもたらすものであった。しかし,それは当然に,金融市場における資金需給の動向と別に人為的に金利を決定するために,その非効率がさまざまに指摘され,日本経済の成長とともに,金融制度全体の自由化への要求の一環として,金利についても自由化の要求が強まった。政府も貸出金利の自由化以降,漸進的にその要求に対応したが,1979年に譲渡性預金(〈CD〉の項参照)が金利自由商品として設定された後は,預貯金からこれらの金利自由商品への資金シフトが著しくなり,自由化の進展に拍車がかけられた。1984年の日米円・ドル委員会報告書,金融の自由化および円の国際化についての現状と展望によって,大口預金金利の自由化スケジュールが策定され,当初最低預入単位10億円でスタートした大口定期預金の金利自由化も,89年には300万円以上の定期預金金利が自由化されるところまで進み,93年には定期性預金金利の自由化の実施,94年には当座預金を除いた流動性預金の金利自由化が実現した。このような自由化の結果,現在では,臨時金利調整法は事実上その機能を停止している。
執筆者:来生 新
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報