日本大百科全書(ニッポニカ) 「臨汾」の意味・わかりやすい解説
臨汾
りんふん / リンフェン
中国、山西(さんせい)省南西部の地級市。1市轄区と洪洞(こうどう)、襄汾(じょうふん)など14県を管轄し、侯馬(こうば)、霍州(かくしゅう)の2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口429万(2014)。1978年臨汾地区の行政公署が置かれ、1983年臨汾県を併合し、2000年に臨汾地区が廃止されて臨汾地級市となった。市域は東西を山地に挟まれ、前面に汾河の下流平野が開けた要害の地で、河東とよばれた山西省南西部でもっとも重要な地の一つである。伝説にいう堯(ぎょう)の都平陽(へいよう)のあった所で、春秋戦国時代を通じて各国が領有を争い、秦(しん)が全国を統一する際にも戦略上の要地の一つであった。漢代に平陽県が置かれ、三国時代魏(ぎ)の平陽郡が置かれたが、隋(ずい)代に県は臨汾と改められ、郡も同じく臨汾郡と改められた。また平陽郡、晋州(しんしゅう)などとよばれ、明(みん)・清(しん)代には平陽府とされた。
現在は山西省南部の最大の都市として商工業の中心である。また地下資源も豊富で、石炭の推定埋蔵量は約400億トンとされる。南北に同蒲(どうほ)線(大同(だいどう)―華山(かざん))が、東西には侯西線(侯馬―西安(せいあん))や侯月線(侯馬―月山)が通る。有名な観光地としては唐代の創建になる大雲寺(鉄仏寺)、堯廟(びょう)などがある。
[秋山元秀・編集部 2017年10月19日]