改訂新版 世界大百科事典 「自分仕置令」の意味・わかりやすい解説
自分仕置令 (じぶんしおきれい)
1697年(元禄10)江戸幕府が諸大名に公布した法令で,大名が刑罰権を行使しうる範囲について規定したもの。内容は,(1)その大名の領分や家臣だけに関する(一領一家中限りの)事件については,逆罪,付火(放火)のごとき最も重い刑罰(磔(はりつけ),火罪(かざい)=火焙(ひあぶり))を科さるべき重罪であろうとも,大名が審理・科刑しうる(自分仕置を行いうる)こと,(2)しかし他領他支配と関連する事件については,大名は自分仕置権を持たず,月番老中にうかがう,すなわち奉行所吟味願を出して事件を幕府に移すことが必要とされること,を基本とし,ほかに(3)自分仕置を行うにあたっては幕府刑法に準ずべきこと,(4)幕府法上,遠島を科すべき場合,領分内に島がなければ,永牢もしくは親類預(あずけ)などで代替すべきこと,を定めている。〈一領一家中限り〉の事件とは,その大名の領分内の人別(にんべつ)に属する者,および無宿,もしくは大名の家臣(陪臣および家族を含む)だけが関係する事件をさす。犯罪人もしくは被害者のうちに他領他支配人別の者が加わっていれば,他領他支配引合(ひきあい)の事件となり,大名の自分仕置権は認められない。ただし1794年(寛政6)には例外として,博奕(ばくえき)/(ばくち)にかぎり,大名は領分内で逮捕した犯人を,御料(天領)や他領人別のものであっても条件つきで自分仕置できることとなった。
自分仕置令はすべての大名を同等に扱うものであったにもかかわらず,大名間には,家格によって専決・執行しうる刑罰に差があるとの観念が根強く存在した。小藩は,重刑を科すことを回避したり,科すべき刑罰・執行方法を幕府にうかがうなど,自分仕置令によって認められた刑罰権をみずから制限する傾向があり,大藩は,自分仕置令で認められた範囲を越えてまで自分仕置をしがちであった。また他領引合事件として幕府に事件が移されると,犯人および関係者全員が江戸に集められ,その負担が絶大であるなどの理由から,大名はなるべく奉行所吟味となることを避けようとし,とくに三家,三卿以外の私領間では,相手方大名の了解を得て事件発生地の大名が自分仕置する慣例が見られた。なお幕府刑法に準ずるとは,主として刑罰の種類,犯罪と刑罰の対応関係につき幕府法に倣うことを意味したが,必ずしも厳密にではなく,〈大様〉幕府法に準ずればよかった。また自分仕置令の本文には,公布当時,生類憐みの令に関する項目が加わっていたが,《公事方御定書》にはこの部分が削除されたものが収録された。
執筆者:林 由紀子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報