自然科学およびその応用に関する資料を収集・保存し,一般の観覧に供する社会教育施設。一般に科学博物館は,自然物を主として扱う自然史系と理工学系とに大別される。自然史系では,動物,植物,鉱物,岩石などの資料を取り扱い,欧米では,これらに人類学,民族学等の資料を含むことが多く,とくに自然史博物館natural history museumとしてscience museumと区別することが多い。なお,植物学博物館は,植物園に付属する施設として動物,鉱物等の施設から独立しているものも多い。また,日本では博物館法(1951)で科学系博物館について,自然科学等に関する資料を収集し,保管(育成を含む)する機関として一括されているために,動物園,水族館,植物園も,科学博物館に含めて分類することもある。理工系博物館は,自然科学の原理および発達に関する資料を扱うが,その重点が自然科学の原理か,応用的なことか,あるいは産業技術かによって,科学,科学技術,科学産業,工芸(science,science and technology,science and industry,technology and art)博物館と区別されて,称される。このほか,産業系(交通,郵便,海運,鉱山等)の博物館,科学史博物館などの専門博物館,あるいは児童を対象とした児童科学館,動的な実験装置や解説装置を主として展示する科学センターなどがある。
博物館museumの語源となった前3世紀にアレクサンドリアに創立されたムセイオンを博物館の起源とすることには多くの異論がある。しかし,古くから自然物を収集し,これを展観することは行われていたようである。アリストテレス(前4世紀)は,地方に旅行する弟子たちに自然物を持ち帰ることを命じたと伝えられている。ルネサンスを通じて,人々の自然および科学への関心が高まるにしたがって,動植物・岩石鉱物標本や科学器械を意識的に収集することが,ドイツ,イタリアなどの封建貴族の庇護をうけたアカデミー,大学などを中心に行われるようになった。さらに,16~17世紀になり,海外植民地が拡大するにしたがい,海外からの持帰り品を一般に公開し,これを植民教育に利用するための施設がオランダなどに設けられはじめ,1683年には,オックスフォード大学にE.アシュモールの収集した自然史資料を中心にした博物館が誕生した。この博物館は最初の自然史博物館であると同時に,世界で最初に一般に公開された博物館となった。これ以後,海外への学術調査がさかんに行われるにしたがい,欧米諸国における自然史学が急速に進歩し,自然物の標本が集積されるにしたがって,各地に大規模な自然史博物館が建設されていった。一方,産業革命の進展は,人々の生活を大きく変え,その意識にも大きな影響を与え,とくに科学知識への関心を高めた。1798年,国民公会の要請によって,パリに当時の機械技術者として最高の評価を得ていたJ.deボーカンソンの考案・製作した科学機械を展示し,国民教育に役立てる目的で工芸博物館Conservatoire national des arts et métiersが創設され,さらに,1851年開催の第1回万国大博覧会の翌年には,ロンドンに工業博物館が設けられた。この博物館は57年にはサウス・ケンジントン博物館となり,さらに,これから分離された科学部門が1909年独立して現在の科学博物館として発足したが,このロンドンの科学博物館は現在でも世界で屈指の科学博物館として,その歴史とともに収集資料の質および量の高さを誇っており,多くの研究者が,この博物館の独立創立をもって,近代科学博物館の始まりとしている。1906年には,ドイツのミラーOskar von Miller(1855-1934)がミュンヘンにドイツ科学技術博物館を開いた。彼は〈物理科学的自然現象と,その現象間の厳密な相互関係,ならびに技術に関する方法と考案について,ドイツの一般民衆に精通させる〉という非常に明確な目標をもってこの博物館を設立した。しかし,第1次大戦等の影響で,本格的には25年になって,ようやくドイツ博物館として完成した。これ以後,科学博物館の教育的役割が認識され,種々の教育的配慮が加えられたジオラマ・模型,実験装置が工夫されて,豊富な資料とともに展示される近代的科学博物館が,アメリカを中心に,つぎつぎに設立されるようになった。第2次大戦後,アメリカの工業技術を背景に,大規模な実験装置を中心としたシカゴの科学産業博物館や,ワシントンのアメリカの歴史を技術の発展で示す国立歴史技術博物館や,宇宙時代を象徴する航空宇宙博物館などの大規模博物館が建設され,また,サンフランシスコのエクスプロラトリウムExploratoriumのごとき実験を主とした新しい科学博物館を目ざす施設などが相ついで創設されている。なお,アジア地区には,植民地時代の自然史博物館のほか,1945年以前には日本を除いて理工系博物館は皆無であったが,近年,インド,タイ,シンガポール,韓国に科学博物館が設けられ,また中国,フィリピンなどにおいても設立の計画が進められている。
日本においては,江戸時代に田村藍水や平賀源内ら,本草家や蘭学者が物産会,産物会,博物会などの名のもとに産物を持ち寄り,展示会を開いたのが博物館の濫觴(らんしよう)とされているが,一部の好事家たちの利用に限られ一般の大衆に公開されることはなかった。1870年(明治3)大学南校に物産局が設けられ,全国の物産を調査することになり,本草家田中芳男がその仕事に当たった。翌年,パリ万国博覧会(1867)に出品して持ち帰ったものを湯島聖堂に展覧したが,このような試みがやがて博物館へと発達し,国立博物館と国立科学博物館に分化していった。77年東京上野に文部省所管の教育博物館が創立され,これが現在の国立科学博物館になっていくが,日本の科学博物館の歴史がここに始まった。同時に,1870年代の後半には,広島,新潟,鹿児島等の県にも博物館が設けられ,各地の物産を中心に,自然史資料や工芸品等を展示するようになった。また,1900年代には,郵便,工業所有権等の政府機関の設立する専門博物館も建設されたが,そのほとんどが,第2次大戦末までに事業を縮小し,あるいは閉館してしまった。このようにして,日本の科学博物館は第2次大戦で第1期を終わった。1945年以後,科学技術の振興がうたわれ,とくに55年ころから,各地に科学館,科学技術館,児童科学館などが建設されるようになった。さらに,日本経済の発達により,企業内での博物館への認識が高まり,80年ころから専門分野を対象とする多くの産業博物館が設立されるようになっていった。ある統計によれば,1973年から81年までに設立された博物館421館中,自然史,科学,産業を含め科学博物館に属するものが57館であった。日本博物館協会の調査によれば,81年の博物館総数2080館中科学系博物館は196館であったことに比較すると,近年科学系博物館の設立がいかに多いか理解できよう。
一般に博物館は資料の収集・保管・整理,調査研究,展示,教育活動の四つの機能をもっている。自然史博物館では,国内外への調査を行い,標本資料を収集することが重要な機能とされている。各種の探検旅行,学術調査によって採集した標本を分類記載することによって自然史学を進め,同時にこれらの標本が展示の質を高めるという働きをもっている。なお,古い形の自然史博物館では収集した標本を分類学の体系に従って展示していたが,新しい傾向としては,生態,環境,人間等のテーマを掲げ,そのテーマにしたがって展示を展開するものが増えている。理工系博物館においても,初期には科学あるいは技術の発達資料を収集し,これらの器械標本を展示する形態のものが多かったが,ドイツ博物館あるいはアメリカの多くの科学博物館,パリの発明宮のごとく,科学の原理を興味深く理解できるような実験装置を重視する館が注目されるようになるにしたがい,この発達資料と実験・解説装置をいかに均衡をとって展示するかが大きな課題となっている。したがって,理工系の施設においては,科学・技術・産業の諸分野の発達に係る資料を調査して収集する作業が重要な部分を占めることはいうまでもないが,科学の原理を理解させるための実験装置や解説装置,模型等の工夫考案も重要な仕事になっている。これらの機能を果たすために,博物館には,展示室のほか,資料庫,研究室,その他の管理サービスのための面積が必要である。自然史系では収集標本が多いために,歴史の古い大規模博物館では,それぞれ専門分野の研究員を配し,展示室を上まわる資料庫をもつものが多い。理工系では,発達資料はそのままほとんどが展示され,また,実験・解説装置等は保存されることがないために,十分な広さの資料庫をもつ博物館は非常に少ない。とくに日本の理工系博物館では従来から科学技術の発達資料を収集・保管するという機能をもつものが少なく,科学の諸原理を解説することに重点を置くものが多かったために,収集資料を保存する資料庫を施設の一部として必要であるという認識が少なかった。そのことがまた,日本の理工系博物館を特徴づけているともいえる。その反面,展示資料の製作,修理等のための工作室,展示準備室等に大きな面積をあてているものが多い。
博物館の運営の中心は学芸員curatorと呼ばれる職員で,資料を収集整理し,研究調査を行い,展示を企画し,また種々の教育活動を行うが,自然史分野では主として分類学に関する研究者が,理工学分野では,理化学,工学に関する分野の研究者が学芸員となっていることが多い。理工学分野では,最近,科学技術史に関する関心が高まり,また,イギリスで提唱され,日本にも導入された産業考古学の研究に関して,科学博物館学芸員が参加するものも増えている。
日本一国のみでも博物館は2000を超えるといわれているように,世界中の博物館の数を把握することはむずかしい。世界中の博物館の進歩のための専門組織としてICOM(イコム)(The International Council of Museumsの略称)が1946年組織され,科学,技術,民族学,歴史,自然史,考古学,美術の各専門分野の委員会が設けられて,博物館の進歩のために国際的な協力が行われている。このICOMからは,《イコム・ニューズ》が発行され,またユネスコからは各国の博物館事情を伝える《Museum》誌が年4回発行されている。また,ICOMの科学技術委員会International Committee of Museums of Science and Technology(CIMUSET)からもニューズ・レターが発行されていて,世界の科学博物館の連絡をはかっており,日本国内では,日本博物館協会とは別に,科学博物館の連係をはかるために全国科学博物館協議会が組織され,2008年4月現在正会員として233の施設が参加し,《全科協ニュース》を発行している。また,動物園,水族館,植物園がそれぞれ,全国的な組織をもち連絡をはかるために機関誌を発行し,それぞれの館の発展向上につくしているのである。
→博物館
執筆者:青木 国夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本では、「博物館法」(昭和26年法律第285号)によれば科学博物館を、産業・自然科学に関する資料を収集整理・保管し、展示および科学的研究をすることを目的とする機関、というように定義することができる。
[雀部 晶]
ヨーロッパでは、すでに16世紀ごろから科学博物館の萌芽(ほうが)をみることができる。本格的になるのは産業革命以後からである。近代的な科学博物館のスタートは、1799年にパリに創設された国立技術工芸博物館からである。その後、イギリス、ドイツ、アメリカ、オーストリアでもいっせいに科学・技術にかかわる博物館が創設されていった。
日本の科学博物館の歴史はほぼ150年である。1872年(明治5)国立博物館が設立され、そのなかに科学部門が設置された。そしてこの部門が1877年に分離独立し、教育博物館となり、科学教育を担うようになったのが、現在日本で唯一自然史と理工学・生産(技術)分野を展示している国立科学博物館の前身である。この独立時には、外国から入手した教育用具、理化学器械、博物標本などを展示した。1931年(昭和6)に科学博物館と名のるようになり、このころになると、理工学部門では、見学者自身が自ら実験できるような装置、自然史部門では生態展示などがされるようになってきた。
[雀部 晶]
対象によっていろいろな種類の科学博物館がある。自然史全般を扱う自然史博物館、その自然史の個別分野だけを扱う個別自然史博物館、たとえば動物学・植物学・地質学などのジャンルを扱っている博物館、理学・工学・生産(技術)を対象にする科学・技術博物館、その個別分野を対象にした博物館、自然史・理工学・生産(技術)を総合的に扱う科学博物館などがある。
日本では自然史・理工学・生産(技術)を総合的に扱った博物館は、東京の上野にある国立科学博物館1館だけである。この国立科学博物館は、伝統があるだけに、自然史に関する史資料、理工学・生産(技術)に関する史資料とも意欲的に収集されており、日本の科学博物館の原点になっている。
個別の科学博物館でもそれぞれの分野の特徴、地域性などを生かしたユニークなものが少なくない。北海道の開拓史を中心にした北海道博物館(札幌市)、秋田県の仁別(にべつ)森林博物館(秋田市)、秋田大学国際資源学研究科附属鉱業博物館(秋田市)、新潟県の佐渡の金山に関する博物館、出雲崎(いずもざき)町の石油記念館、栃木県宇都宮市の大谷石(おおやいし)に関する大谷資料館、群馬県館林(たてばやし)市にある日清(にっしん)製粉製粉ミュージアム、長野県の岡谷蚕糸博物館、東京の紙の博物館(北区)、郵政博物館(墨田区。前身は逓信(ていしん)総合博物館)、鉄道博物館(埼玉県さいたま市。前身は「交通博物館」)神奈川県立生命の星・地球博物館(小田原市)、岐阜県の内藤記念くすり博物館(各務原(かかみがはら)市)、名和昆虫博物館(岐阜市)、愛知県の博物館明治村(犬山市)、大阪市立自然史博物館(東住吉区)、大阪市立科学館(北区)、兵庫県の赤穂(あこう)市立海洋科学館・塩の国、島根県の和鋼記念館(安来(やすぎ)市)、広島・長崎県の原爆資料館、愛媛県の別子(べっし)銅山記念館(新居浜(にいはま)市)、福岡県の直方(のおがた)市石炭記念館などがある。
[雀部 晶]
本来、科学博物館は、現代の科学・技術の諸課題の解決のためのヒントを与えるようなものでなければならない。自然の変遷、科学・技術の発達過程を通して、今日的課題についても展示すべきである。しかし、諸々の制約と限界をも持ち合わせている。実際の「もの」を通して見学者に語りかけなければならないが、自然史を語るにもすべて「もの」を通して語ることはできない。火山の生成しかりである。生産(技術)についても、大きな機械を博物館に持ち込むことはできない。これらを視聴覚機器によって補っていくが、おのずと限界がある。一部には見学者をひきつけようとするあまりに、遊び的要素ばかりに目が向き、真理を逆に見失わせてしまうような傾向もある。科学博物館は、自然・科学・技術の発展法則を身につけるための援助者であることを忘れてはならない。
また、展示だけでなく、資料の収集・保存に関しても重要な位置を占めている。科学・技術に関する標本・文献を的確に収集・保存しないと、すべてにわたって保存することは不可能であり、現在の科学・技術の発達をみるならば、その判断基準を明確にしていかなければならないのは当然である。
さらに、研究機能を充実させることが重要である。わが国の科学博物館のほとんどが研究機能をもちえていない。研究機能を備えることによって、現代的・今日的課題に対峙(たいじ)している博物館内の研究者集団が、展示の中に現代的諸課題の解決の緒を示すことが可能となるのである。
展示、資料収集・保存、研究という三つの要素を兼ね備えてこそ、真の科学博物館になりえていくはずである。
[雀部 晶]
『加藤秀俊他編『世界の博物館』22巻・別巻1巻(1978~1979・講談社)』▽『徳川宗敬他監修『博物館学講座』全10巻(1979~1981・雄山閣出版)』▽『全国科学博物館協会編『科学博物館への招待』(1980・東海大学出版会)』▽『佐貫亦男著『科学博物館からの発想――学ぶ楽しさと見る喜び』(講談社・ブルーバックス)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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