1877(明治10)年、
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自然史・理工学・生産(技術)を総合的に扱った博物館。東京都台東(たいとう)区上野公園に本館が所在する。
1872年(明治5)文部省管轄の博物館として、自然史・工芸などを展示する文部省博物館が発足、これは1875年に内務省管轄に移った。そこで文部省は1877年に教育博物館(国立科学博物館の前身)を発足させた。発足時は館名どおりに教育にかかわるものが中心に展示され、国産だけでなく外国から入手した教育用具、理科教育用理化学器械・博物標本などが展示された。1889年に高等師範学校付属施設となり、1914年(大正3)に独立し東京教育博物館となった。1921年東京博物館と改称、その体裁を整える体制に入ったが、1923年の関東大震災で全壊・全焼した。その後1931年(昭和6)にようやく復興し、現在地に施設を整えることとなった。現在の本館はそのときの建築で、当時の耐震構造技術が駆使された建物となっている。館名もこのとき初めて東京科学博物館となったが、第二次世界大戦のため、施設ばかりでなく、苦労して集めた資料までが犠牲になった。
1949年(昭和24)国立科学博物館と館名が変わり、理工学関係施設などを増設しつつ、全国の科学博物館の中心としての役割を担うこととなった。一方、1957年以降、自然史研究センターの任務を負い、その充実が図られてきた。また、極地研究所創設(1972)までは南極観測に関しても中心的役割を果たした。現在、自然史関係の動物・植物・地学・人類、および理工学の、5研究部、22研究室がある。上野の本館に展示室を設けているほか、東京の目黒に自然教育園、茨城県の筑波(つくば)地区には筑波研究資料センターがあって、筑波実験植物園と昭和記念筑波研究資料館が組織されている。これらの施設は、いずれも一般公開されている。研究部は東京の新宿分館、および植物研究部が筑波地区にある。自然史、理工学、生産(技術)に関する史資料は意欲的に収集されており、自然史研究部門では約340万点に及ぶ標本、理工学研究部門では約2万余点に及ぶ資料がある。所蔵する書籍関係は6万冊余である。研究成果は各研究部門ごとに発行される学術研究雑誌によって報告され、啓蒙(けいもう)・普及のための出版物も発行されている。
上野本館展示場は、自然史に関する展示をはじめ、理工学に関する展示では歴史的な発達過程とともに、今日的課題にもヒントが得られるようにくふうされている。年間およそ100万人の見学者が訪れている。2001年(平成13)4月、行政改革の一環として独立行政法人国立科学博物館となった。
[雀部 晶]
『国立科学博物館編『国立科学博物館百年史』(1977・第一法規出版)』▽『全国科学博物館協議会編『科学博物館への招待』(1980・東海大学出版会)』▽『大塚和義・矢島国雄編『国立科学博物館・大阪市立自然史博物館』(1988・あいうえお館)』▽『国立科学博物館編『国立科学博物館物語』(1989・さ・え・ら書房)』▽『諸沢正道編著、国立科学博物館編『開かれた博物館をめざして』(1991・科学博物館後援会)』▽『国立科学博物館編・刊『写真で見た国立科学博物館120年の歩み』(1998)』▽『国立科学博物館編・刊『国立科学博物館における研究活動』』▽『国立科学博物館監修・刊『国立科学博物館への招待』(ともに1999)』▽『佐藤広基・本地桃子画・文『国立科学博物館』(2006・汐文社)』
1871年(明治4)湯島聖堂内に設けられた日本最初の観覧施設は,翌年文部省博物館として,自然史・工芸を含む総合博物館として発足したが,75年内務省博物館となった。そこで,文部省は77年上野山内,現在の東京芸術大学の位置に新たに教育博物館を設けた。その目的として文部省は,〈文部省の所轄にして凡そ教育上必需なる内外諸般の物品を収集し教育に従事する者の捜討に便じ兼て公衆の来観に供し以て世益を謀らんが為め〉として,初期には理科用機械器具を展示するとともに,全国の学校にそれらの器具を紹介斡旋を行ったりした。その後,高等師範学校の付属施設とされる(1889)などの変遷があったが1914年に再び分離独立した。21年には東京博物館と改称して拡充整備をはかったが23年関東大震災で全焼した。31年現在の上野公園内に復興し,東京科学博物館として近代的な科学博物館としての体裁を整えた。太平洋戦争で施設および収集資料に大きな被害をうけたが,戦後,国立科学博物館と改称するとともに,理工学館を増設する等,拡充整備を進め,57年以降は自然史研究センターとしての機能を果たすため自然史部門の機構と施設の拡充が行われた。
現在は庶務,事業の管理部門と,自然史系には動物,植物,地学,人類の4研究部18研究室,理工系には理工学研究部4研究室があり,付属施設として筑波実験植物園(約14ha)と付属自然教育園(約20ha)があり,上野本館のほか,新宿地区に自然史研究部門のための分館がある。所蔵標本は自然史部門約120万点,理工学部門約2万点,所蔵図書約6万冊で,各研究部門ごとの研究報告をはじめ,各種の刊行物がある。職員数は研究職員を含め約170人で,年間の入館者は約100万人,五つの建物で自然史および理工学の展示が行われ,また,各種の講演会,講習会がさかんに行われている。2001年4月独立行政法人となった。
執筆者:青木 国夫
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日本唯一の国立の総合科学博物館で,自然史の研究センターとしても位置づけられる。東京都台東区上野公園にあり,港区白金に自然教育園,茨城県つくば市に筑波実験植物園がある。1877年(明治10)1月教育博物館として創設され,1949年(昭和24)現名称となった。現在地に本館が建てられたのは1931年で,本館(現,日本館。重文)のほか地球館がある。研究活動や展示の充実はもとより,教育普及活動も活発で,ボランティアの養成・活用など,科学教育にも力を注いでいる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…また文部省博物館はいったん博覧会事務局に併合されたあと,75年再び文部省博物館として分離独立しさらに77年教育博物館として上野公園内に,物理,化学,動物,植物,地学などの標本を集めて公開された。これが現在の国立科学博物館の前身である。1875年,博覧会事務局は〈博物館〉と改称し,内務省所管となったが,82年に上野公園に移転し,86年には宮内省の所管となって歴史美術を主とした中央博物館の基礎を確立していった。…
※「国立科学博物館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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