日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由大学運動」の意味・わかりやすい解説
自由大学運動
じゆうだいがくうんどう
1921年(大正10)長野県上田に創設された信濃(しなの)自由大学に始まり、同県飯田・松本、新潟県魚沼(うおぬま)・八海(はっかい)、福島、前橋などに波及した民間高等成人教育の運動。文明評論家の土田杏村(きょうそん)が指導し、地方小都市およびその近郊の知的青年層によって組織され、東京、京都から新進少壮の学者を招いて連続講座を実施した。行政、財界といっさいかかわりをもたず、受講料に財政的基盤を置き、受講者の要求に即してテーマや講師を自由に選定する、自主・自立の教育機関であった。杏村を通じてイギリスのプロレット・カルトの運動の影響を受けていたが、その性格、内容はむしろWEA(勤労者教育協会)の成人教育に近い。人文科学、社会科学を中心に、アカデミック・スタンダードの高い組織的・系統的教授を行ったが、社会変革の志向は概して顕著でなかった。昭和初期の経済不況によって財政困難に陥り、消滅した。
[宮坂広作]