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林芙美子 はやしふみこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林芙美子
はやしふみこ

[生]1903.12.31. 下関
[没]1951.6.29. 東京
小説家。本名,フミコ。不遇な少女時代を経て,1922年尾道高等女学校を卒業し,愛人を頼って上京。銭湯の下足番などさまざまな職業を転々としながら文学を志し,詩集『蒼馬を見たり』 (1929) をまとめた。小説『放浪記』がベストセラーとなり,続く『清貧の書』 (31) で作家としての地位を確立。清純で強い詩的感受性に貫かれ,生活の重圧を明るい自我ではねかえす庶民生命力にあふれた『風琴と魚の町』 (31) や『牡蠣 (かき) 』 (35) で「市井もの」の新しい領域を開き,第2次世界大戦後も『晩菊』 (48) ,『浮雲』 (49~51) ,未完絶筆めし』 (51) などの名作を残した。

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百科事典マイペディアの解説

林芙美子【はやしふみこ】

小説家。本名フミコ。下関市生れ。尾道高女卒。女工,女給などを転々としながら童話や詩を書き,自伝的小説《放浪記》を《女人芸術》に発表,文壇に出た。女流作家として戦中戦後の文壇に活躍,《清貧の書》《牡蠣》《晩菊》《浮雲》などで庶民の哀歓を描いた。
→関連項目浮雲(映画)壺井栄女人芸術長谷川時雨森光子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林芙美子 はやし-ふみこ

1903-1951 昭和時代の小説家。
明治36年12月31日生まれ。行商人の子として貧しさのなかで各地を転々とする。大正11年上京,種々の職業につきながらアナーキストの詩人や作家の影響をうける。昭和5年刊行の自伝的小説「放浪記」がベストセラーとなった。昭和26年6月28日死去。47歳。山口県出身。尾道高女卒。本名はフミコ。作品はほかに「風琴と魚の町」「晩菊」「浮雲」など。
【格言など】花のいのちは短くて,苦しきことのみ多かりき(「放浪記」)

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世界大百科事典 第2版の解説

はやしふみこ【林芙美子】

1903‐51(明治36‐昭和26)
小説家。山口県生れ。本名フミコ。母キクの私生児として誕生。各地を転々と放浪しながら育ち,1922年尾道市立高女を卒業。上京して,女中,露天商,女工,女給など各種の職業を遍歴しながら詩や童話を書く。アナーキスト詩人萩原恭次郎,岡本潤らと交わり,平林たい子の小説が《大阪朝日新聞》の懸賞に当選したことに触発され,《放浪記》(1928‐29)を《女人芸術》に発表。これが改造社から単行本として出るやベストセラーとなった。

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大辞林 第三版の解説

はやしふみこ【林芙美子】

1903~1951) 小説家。下関市生まれ。本名、フミコ。尾道高女卒。自伝的小説「放浪記」で文壇に登場、庶民的ヒューマニズムを基調にした抒情的作風で知られた。後年、客観的作風に転じ、小説「牡蠣」「晩菊」「浮雲」「めし」を残す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林芙美子
はやしふみこ
(1903―1951)

小説家。明治36年12月31日下関(しものせき)生まれ(出生日、生誕地ともに異説あり)。本名フミコ。行商人宮田麻太郎を父に林キクの私生児として届けられた。1910年(明治43)母は離婚し翌年沢井喜三郎と結婚、一家は九州を行商して歩き、芙美子は転校を重ねた。15年(大正4)広島県尾道(おのみち)に落ち着き、22年尾道市立高等女学校卒業。卒業後、愛人岡野軍一を頼って上京、職を転々としていわゆる放浪記時代が始まった。24年友谷静栄(ともたにしずえ)と詩誌『二人』創刊。俳優田辺若男や詩人野村吉哉(よしや)と同棲(どうせい)し、アナキスト詩人岡本潤、壺井繁治(つぼいしげじ)らを知る。26年画家修業中の手塚緑敏(てづかろくびん)と結婚、芙美子のアナーキーな生活はここにようやく安定を得た。28年(昭和3)『女人芸術』に『放浪記』連載、好評を博し、30年『放浪記』出版、たちまちベストセラーとなり『続放浪記』を出版、出世作となった。同年処女詩集『蒼馬(あおうま)を見たり』を出す。この年中国を旅行。31年『風琴と魚の町』『清貧の書』を発表、作家としての地位を確立した。この年欧州に旅行。『泣虫小僧』(1934)、『牡蠣(かき)』(1935)など、自伝的な作風を突き抜け本格的な客観小説に成功した。『稲妻』(1936)のあと、従軍記『戦線』(1938)、『北岸舞台』(1939)などを発表、報道班員となって南仏印(フランス領インドシナ)に滞在、この間短編を書き継いだ。
 戦後は一連の反戦的な作品を残す一方、『うず潮』(1947)、『晩菊』(1948。女流文学者賞受賞)、『茶色の眼(め)』(1949)などを発表、『浮雲(うきぐも)』(1949~50)の連載を始めた。1950年(昭和25)屋久島(やくしま)旅行に出たが、流行作家としての酷使に身体衰弱し、『めし』(1951)など連載中、昭和26年6月28日心臓麻痺(まひ)のため急逝した。詩に始まり私小説を経て自然主義的な散文作家に成熟した芙美子はプロレタリア文学台頭期にあっても思想的な共感を示さず、「人生はいたるところ木賃宿ばかり」の生い立ちに基づく実感を重視して、市井の哀歓、男女の心理を細叙した。[橋詰静子]
『『林芙美子全集』全23巻(1952~53・新潮社) ▽板垣直子著『林芙美子』(1956・東京ライフ社) ▽平林たい子著『林芙美子』(1969・新潮社)』

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世界大百科事典内の林芙美子の言及

【放浪記】より

林芙美子の長編小説。1928‐29年(昭和3‐4),《女人芸術》に連載。…

※「林芙美子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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