林芙美子(読み)ハヤシフミコ

デジタル大辞泉 「林芙美子」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ふみこ【林芙美子】

[1903~1951]小説家。山口の生まれ。多くの職を転々としながら、自伝的小説「放浪記」で文壇に出た。一貫して庶民の生活を共感をこめて描いた。他に小説「清貧の書」「晩菊」「浮雲」「めし」、詩集「蒼馬を見たり」など。

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精選版 日本国語大辞典 「林芙美子」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ふみこ【林芙美子】

  1. 小説家。山口県出身。苦学の末、尾道高女を卒業。単身上京し、職を転々としながら文学を志す。昭和三年(一九二八)に「放浪記」を発表出世作となる。庶民の生活を題材にした自伝的作品が多い。著作「晩菊」「浮雲」「めし」など。明治三六~昭和二六年(一九〇三‐五一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林芙美子」の意味・わかりやすい解説

林芙美子
はやしふみこ
(1903―1951)

小説家。明治36年12月31日下関(しものせき)生まれ(出生日、生誕地ともに異説あり)。本名フミコ。行商人宮田麻太郎を父に林キクの私生児として届けられた。1910年(明治43)母は離婚し翌年沢井喜三郎と結婚、一家は九州を行商して歩き、芙美子は転校を重ねた。1915年(大正4)広島県尾道(おのみち)に落ち着き、1922年尾道市立高等女学校卒業。卒業後、愛人岡野軍一を頼って上京、職を転々としていわゆる放浪記時代が始まった。1924年友谷静栄(ともたにしずえ)と詩誌『二人』創刊。俳優田辺若男や詩人野村吉哉(よしや)と同棲(どうせい)し、アナキスト詩人岡本潤、壺井繁治(つぼいしげじ)らを知る。1926年画家修業中の手塚緑敏(てづかろくびん)と結婚、芙美子のアナーキーな生活はここにようやく安定を得た。1928年(昭和3)『女人芸術』に『放浪記』連載、好評を博し、1930年『放浪記』出版、たちまちベストセラーとなり『続放浪記』を出版、出世作となった。同年処女詩集『蒼馬(あおうま)を見たり』を出す。この年中国を旅行。1931年『風琴と魚の町』『清貧の書』を発表、作家としての地位を確立した。この年欧州に旅行。『泣虫小僧』(1934)、『牡蠣(かき)』(1935)など、自伝的な作風を突き抜け本格的な客観小説に成功した。『稲妻』(1936)のあと、従軍記『戦線』(1938)、『北岸舞台』(1939)などを発表、報道班員となって南仏印(フランス領インドシナ)に滞在、この間短編を書き継いだ。

 戦後は一連の反戦的な作品を残す一方、『うず潮』(1947)、『晩菊』(1948。女流文学者賞受賞)、『茶色の眼(め)』(1949)などを発表、『浮雲(うきぐも)』(1949~1950)の連載を始めた。1950年(昭和25)屋久島(やくしま)旅行に出たが、流行作家としての酷使に身体衰弱し、『めし』(1951)など連載中、昭和26年6月28日心臓麻痺(まひ)のため急逝した。詩に始まり私小説を経て自然主義的な散文作家に成熟した芙美子はプロレタリア文学台頭期にあっても思想的な共感を示さず、「人生はいたるところ木賃宿ばかり」の生い立ちに基づく実感を重視して、市井の哀歓、男女の心理を細叙した。

[橋詰静子]

『『林芙美子全集』全23巻(1952~1953・新潮社)』『板垣直子著『林芙美子』(1956・東京ライフ社)』『平林たい子著『林芙美子』(1969・新潮社)』


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20世紀日本人名事典 「林芙美子」の解説

林 芙美子
ハヤシ フミコ

昭和期の小説家,詩人



生年
明治36(1903)年12月31日

没年
昭和26(1951)年6月28日

出生地
山口県下関市田中町

本名
林 フミコ

別名
別筆名=秋沼 陽子

学歴〔年〕
尾道高女〔大正11年〕卒

主な受賞名〔年〕
女流文学者賞(第3回)〔昭和24年〕「晩菊」

経歴
大正11年上京、売り子、女給などさまざまな職を転々としながら、詩や童話を発表。この時期、アナーキスト詩人、萩原恭次郎、高橋新吉らと知りあい大きな影響を受ける。13年7月友谷静栄と詩誌「二人」を創刊。昭和3年から4年にかけて「女人芸術」に「放浪記」を発表して好評をうける。4年詩集「蒼馬を見たり」を刊行。5年刊行の「放浪記」はベストセラーとなり、作家としての立場を確立した。5年中国を、6年から7年にかけてはヨーロッパを旅行。6年「風琴と魚の町」、10年「泣虫小僧」「牡蠣」、11年「稲妻」など秀作を次々と発表。戦争中も従軍作家として、中国、満州、朝鮮を歩く。戦後は戦前にまさる旺盛な創作活動をはじめ、「晩菊」「浮雲」などを発表、流行作家として活躍したが、「めし」を「朝日新聞」に連載中、持病の心臓弁膜症に過労が重なって急逝した。「林芙美子全集」(全16巻 文泉堂)(全23巻 新潮社)や「林芙美子全詩集」がある。平成2年新宿区が邸宅を買い取り、林芙美子記念館として一般公開。

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改訂新版 世界大百科事典 「林芙美子」の意味・わかりやすい解説

林芙美子 (はやしふみこ)
生没年:1903-51(明治36-昭和26)

小説家。山口県生れ。本名フミコ。母キクの私生児として誕生。各地を転々と放浪しながら育ち,1922年尾道市立高女を卒業。上京して,女中,露天商,女工,女給など各種の職業を遍歴しながら詩や童話を書く。アナーキスト詩人萩原恭次郎,岡本潤らと交わり,平林たい子の小説が《大阪朝日新聞》の懸賞に当選したことに触発され,《放浪記》(1928-29)を《女人芸術》に発表。これが改造社から単行本として出るやベストセラーとなった。次いで《風琴と魚の町》《清貧の書》(ともに1931)など自伝的小説を書き,文壇の第一線の作家となっていく。戦時中は従軍ペン部隊の一員として,中国や南方各地に赴く。戦後も《晩菊》(1948),《浮雲》(1950-51)など哀愁を誘う抒情的作品をものしている。ヒューマニズムと清冽(せいれつ)な詩情にあふれた作風に特色があり,それが困難な時代を生きた多くの人々に共感をもって迎え入れられたといえる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「林芙美子」の意味・わかりやすい解説

林芙美子【はやしふみこ】

小説家。本名フミコ。下関市生れ。尾道高女卒。女工,女給などを転々としながら童話や詩を書き,自伝的小説《放浪記》を《女人芸術》に発表,文壇に出た。女流作家として戦中戦後の文壇に活躍,《清貧の書》《牡蠣》《晩菊》《浮雲》などで庶民の哀歓を描いた。1951年心臓麻痺で急死。
→関連項目浮雲(映画)壺井栄女人芸術長谷川時雨森光子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林芙美子」の意味・わかりやすい解説

林芙美子
はやしふみこ

[生]1903.12.31. 下関
[没]1951.6.29. 東京
小説家。本名,フミコ。不遇な少女時代を経て,1922年尾道高等女学校を卒業し,愛人を頼って上京。銭湯の下足番などさまざまな職業を転々としながら文学を志し,詩集『蒼馬を見たり』 (1929) をまとめた。小説『放浪記』がベストセラーとなり,続く『清貧の書』 (31) で作家としての地位を確立。清純で強い詩的感受性に貫かれ,生活の重圧を明るい自我ではねかえす庶民的生命力にあふれた『風琴と魚の町』 (31) や『牡蠣 (かき) 』 (35) で「市井もの」の新しい領域を開き,第2次世界大戦後も『晩菊』 (48) ,『浮雲』 (49~51) ,未完の絶筆『めし』 (51) などの名作を残した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林芙美子」の解説

林芙美子 はやし-ふみこ

1903-1951 昭和時代の小説家。
明治36年12月31日生まれ。行商人の子として貧しさのなかで各地を転々とする。大正11年上京,種々の職業につきながらアナーキストの詩人や作家の影響をうける。昭和5年刊行の自伝的小説「放浪記」がベストセラーとなった。昭和26年6月28日死去。47歳。山口県出身。尾道高女卒。本名はフミコ。作品はほかに「風琴と魚の町」「晩菊」「浮雲」など。
【格言など】花のいのちは短くて,苦しきことのみ多かりき(「放浪記」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「林芙美子」の解説

林芙美子
はやしふみこ

1903.12.31~51.6.28

昭和期の小説家。本名フミコ。山口県出身。私生児として生まれ,幼少期から行商の旅で各地を渡り歩き貧窮のなかに育つ。上京して職を転々とし,アナーキストの詩人たちと知り合い影響をうけた。1929年(昭和4)詩集「蒼馬を見たり」を出版,翌年には自作の詩をいれた自伝的日記体小説「放浪記」が刊行されて大ベストセラーになった。その後「風琴と魚の町」「牡蠣(かき)」「稲妻」「晩菊」「浮雲」など数多くの作品を発表。「林芙美子全集」全16巻。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「林芙美子」の解説

林芙美子
はやしふみこ

1903〜51
昭和期の小説家
山口県の生まれ。尾道高女卒業後上京し,女工・女給などをしながら文学に努力。1928年『放浪記』を発表,'30年に出版されベストセラーとなった。庶民の哀感を詩情豊かに描く作風。戦後の代表作に『晩菊』『浮雲』など。

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事典・日本の観光資源 「林芙美子」の解説

林芙美子

(鹿児島県熊毛郡屋久島町)
かごしま よかとこ100選 浪漫の旅」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

367日誕生日大事典 「林芙美子」の解説

林 芙美子 (はやし ふみこ)

生年月日:1903年12月31日
昭和時代の小説家
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の林芙美子の言及

【大衆文学】より

… 1930年代に入ると大衆文学は時代物,現代物,推理物をふくむ幅の広さと多様さを持ち,昭和前期の繁栄を競い合う。1人で3役をこなす文壇のモンスター林不忘・牧逸馬・谷譲次の精力的な活躍に象徴されるような多彩な動きが見られるが,その反面,大衆文学の新しい方向を模索する傾向もあり,吉川英治が《松のや露八》や《かんかん虫は唄ふ》などで示した方向は,やがて《宮本武蔵》(1936‐39)にひとつの収穫をもたらし,股旅ものから脱却した長谷川伸,子母沢寛らの史伝ものへの接近などを生む。直木三十五《南国太平記》,野村胡堂《銭形平次捕物控》,邦枝完二《お伝地獄》,三上於菟吉《雪之丞変化》,鷲尾雨工(わしおうこう)《吉野朝太平記》など,時代小説にも捕物帳,世話物,史伝物,実録物などの幅が生まれ,現代物にも芸道物,明朗物,西欧物,開化物などが現れ,佐々木邦,小島政二郎,山中峯太郎,木村毅,群司次郎正,北村小松,竹田敏彦,浜本浩らが活躍する。…

【丹下左膳】より

…隻眼隻手の超人的怪剣士・丹下左膳が,スクリーン上に初めて登場したのは1928年5月のことである。原作は林不忘(ふぼう)の《大岡政談・鈴川源十郎の巻》で,この映画化が3社競作となったため,日活版の大河内伝次郎,東亜キネマ版の団徳麿,マキノ版の嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)と,同時に3人の丹下左膳が出現した。3本の映画はいずれも《新版大岡政談》という題名で,監督は日活版が伊藤大輔,東亜キネマ版が広瀬五郎,マキノ版が二川文太郎である。…

【ペンネーム】より

… 文芸の資本主義化が成熟すると,今度は2人の作家が一つのペンネームで発表を続けたり(アメリカ推理作家E.クイーン),一作家が二つのペンネームで異なる作風のシリーズを続けたり(イギリス推理作家ディクソン・カー=カーター・ディクソンなど)する多作家が現れる。日本では,昭和初年に林不忘,牧逸馬,谷譲次の三つのペンネームで時代・現代小説を書き分けた長谷川海太郎が《一人三人全集》をのこした。また劇作家岩田豊雄は獅子文六の筆名で大衆小説を書き,太平洋戦争下に本名で書いた作品の戦争協力姿勢を問われてのちは,獅子の盛名に後半生をゆだねる生き方をした。…

※「林芙美子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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