英勝寺(読み)エイショウジ

日本歴史地名大系 「英勝寺」の解説

英勝寺
えいしようじ

[現在地名]鎌倉市扇ガ谷一丁目

寿福じゆふく寺の北隣にあり、東光山英勝寺と号する浄土宗の尼寺。本尊阿弥陀三尊立像。鎮西義流で、もと京都知恩ちおん院末。開山玉峰清因、開基英勝院長誉清春で寛永一三年(一六三六)一一月二三日創建(英勝寺記など)。寺域は太田道灌の邸跡と伝える(英勝院墓碑銘)

寛永一五年林道春撰「英勝寺記」や英勝院墓碑銘(鎌倉市史史料編三)などによると、開基英勝院は俗名勝、太田康資の娘で徳川家康側室であったが、家康の死後薙髪し、同一一年六月おうぎやつに浄地を賜り当寺を創建した。将軍家光は本尊を寄進、このとき、家康の命を奉じて水戸藩主徳川頼房の娘を養育して尼とし、玉峰清因と号して住持させたことから、当寺歴住は水戸徳川家から迎えるのを常とし、水戸家の御殿、水戸様の尼寺と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「英勝寺」の意味・わかりやすい解説

英勝寺
えいしょうじ

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷(おうぎがやつ)にあり、浄土宗に属する尼寺。東光山と号する。徳川家康に寵愛(ちょうあい)された梶(かじ)の方(のちお勝の方)が一女を夭死(ようし)させたため、家康は彼女を哀れんで徳川頼房(よりふさ)の後見役とした。お勝の方は家康の没後、出家剃髪(ていはつ)して英勝院長誉清春(ちょうよせいしゅん)と改名、1634年(寛永11)幕府より当地に寺地を得、寺を建立したのが草創。のち頼房の娘を尼とし、玉峯清因(ぎょくほうせいいん)と名づけ当寺の開山とした。以来、水戸(みと)徳川家の娘が住持となったので水戸御殿とよばれた。本尊は阿弥陀三尊像。仏殿、祠堂、唐門、鐘楼などは創建当初のもので、県指定重要文化財。

[大鹿実秋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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