出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…当時の唐絵の画題としては,中国古代から唐にいたる名臣の肖像を描いた賢聖障子が代表的なものであり,これは宮廷の障子絵の画題として近世まで描き継がれている。ほかに,《山海経(せんがいきよう)》所論の長臂国,長股国の異類(手長足長)を描いた荒海障子,馬を描いた馬形障子などが文献により知られる。鎌倉時代後半から南北朝,室町時代にかけては,宋,元の絵画が大量に輸入された。…
…東廂の東が孫廂で,南北9間,東西1間の板葺きで,床は身舎より一段低くなっている。二間と弘徽殿上御局の境に昆明池障子(こんめいちのしようじ)が置かれ,北の突当りは荒海障子で仕切られている。〈北廂〉は東西3間,南北1間,北廊を経て滝口陣,承香殿や弘徽殿に通じる。…
※「荒海障子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」