本所法(読み)ほんじょほう

改訂新版 世界大百科事典 「本所法」の意味・わかりやすい解説

本所法 (ほんじょほう)

本所が自己の領有する荘園を支配するための法。私的大土地所有としての荘園の所有者を,公法的主体の観点から本所と称する。国衙領として開発された場合も,独立単位で個別的に所有の対象となる保,土地の支配を基点とする荘園とは異なり,人の支配,人間集団の奉仕を基点として成立した御厨(みくりや)なども,私的大土地所有という面では荘園と同様にみてよい。中世ではこのような私有地には複数の権利が職(しき)として重層し,一つの荘園に本家職,領家職,預所職等が重なるが,荘園の実質的領有権である荘務権を有する者を本所と呼ぶべきであろう。

 本所には世俗貴族である公家,宗教的領主である寺院・神社があり,鎌倉幕府の長である鎌倉殿も関東御領という荘園については本所である。公家の場合は,彼ら自体が朝廷を構成する権門であるから,当時の朝廷の法=律令を現実に適応させながら解釈運用する公家法が基本であり,また寄進型荘園が多く,その荘務権はかつての国衙の支配権を継受するから,両面から朝廷の法を本所法とすることとなる。寺社は宗教的領主であるから,宗教教団護持の法と所領支配の法とが混在する。一寺一社の規模では,宗祖や所領支配開始者の設定する起請・規式などが成文法の中心となる。970年(天禄1)の天台座主良源の起請,1185年(文治1)の神護寺文覚の起請などがその例である。前者では法会における過差の禁,仏事修行の励行,寺内秩序の維持,僧団の組織規律を規定し,後者では寺僧の身分規定を含む寺院組織,堂舎仏事の興行,寺院寺僧の財産の維持,寺僧の不法の禁止,寺内秩序の維持が規定される。後者は後白河法皇の手印を受け,法皇の承認を得ているから,寺院の法も広くみれば公家法の枠内にある。

 一方,荘園はその成立も領有の事情も異なるから,個別の荘園に則した立法がなされる場合もある。1190年(建久1)高野山領備後国大田荘の支配のために作成された僧鑁阿(ばんな)の置文には,官物(かんもつ)田・定公事(じようくじ)田の設定,下司名(みよう)・公文名など荘官の得分の規定,厨雑事(くりやぞうじ)などの公事の規定がある。しかし本所法を個々の荘園で実現させるには,在地の荘官の力が必要である。1271年(文永8)の高野山領紀伊国神野・真国・猿川三荘荘官の起請文,1316年(正和5)の東寺供僧料伊予国弓削島荘の預所請文などは,本所の設定した法を現地の荘園経営者である荘官が受容し,その順守を誓うという形式をとって,本所法が現実に機能するということを示している。

 これら請文類の内容は個々の荘園によって差異があるが,生産秩序の維持,治安維持,年貢・公事・夫役等の収奪の規定の3点をおもな内容とする。抽象的にいえば,撫民=再生産の維持と公平(くひよう)(年貢のこと)収奪の確保を中心とする。なお,本所法を荘園法という場合もあるが,荘園法と称するなら,国家が荘園を規制する法,荘園内住民の秩序としての法という側面をも考えねばならず,本所法の別称としてはあまり適切ではない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「本所法」の意味・わかりやすい解説

本所法
ほんじょほう

荘園(しょうえん)領主による家政運営と荘園支配のための法。11世紀中期には荘園公領制の成立、権門(けんもん)独自の訴訟体系の成立に伴って、律令(りつりょう)国家の法を排除した新たな法圏が成立し、公家(くげ)法・武家法から相対的に独立した本所領家の裁判権の及ぶ範囲で機能するようになった。本所の裁判は、一方の当事者にその関係者を含むか、本所が支配している所職(しょしき)に関する訴訟の管轄を原則とし、公家から本所に裁判権が委任される場合もあった。その裁判審理は政所問注(まんどころもんちゅう)といい、多くは明法家(みょうぼうか)の勘文(かんもん)に基づいて行われた。ときには地下(じげ)問注として御使(おつかい)を現地に送り荘政所などで関係者立会いで調停がなされる場合もあった。このため、本所法は律令法を継承した公家法とともに、「地下之例」「当御庄例(とうみしょうのれい)」など在地での慣習法を含んで成立していた。刑罰として、中央では家政機関への拘禁や家領への流刑、在地では盗犯殺害人の荘内追放・財産没収などが行われた。なお、国衙(こくが)や検非違使庁(けびいしのちょう)は、本所の許可なしに荘民や寄人(よりゅうど)、神人(じにん)らを追捕(ついぶ)しえなかった。本所法では、提訴にはかならず犯人の指摘と挙証責任が負わされる一方、どの本所の裁判に訴えるか、その判決に服するか否かは、当事者の問題とされた。そのため、訴訟の長期化や同一事件について複数の判決が分立することも多かった。

[井原今朝男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本所法」の意味・わかりやすい解説

本所法
ほんじょほう

平安時代中期以降,荘園の発展につれて,本所が自分の支配領域に施行した法体系。家務法と荘園法とに大別される。家務法は本所の家務 (寺院なら寺務,神社なら社務) に関する法で,荘園法とは荘園内に行われる法である。荘園制社会では,土地所有の秩序は (しき) という形態で構成され,本所法は,自己の法圏に強制さるべき規範を統一的,画一的な成文法としてもつことがなかったから,問題は常に個別的,具体的に解決されなければならなかった。応仁の乱 (1467~77) 前後に荘園制度が崩壊するとともに消滅した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「本所法」の解説

本所法
ほんじょほう

荘園領主の法。平安中期以降の律令法の公家法への変容にともない,荘園領主は,中央政府・国衙(こくが)の介入や他の荘園領主の干渉を排して自己の荘園の秩序を守るため,独自の法規範をもつようになった。鎌倉幕府の登場以降も幕府法と異なる独自の法源として存続し,国衙法や在地法からは完全に独立していたものの,公家法や幕府法に規制されていた。やがて幕府法と守護領国法が大勢を占める室町時代以降は空洞化して消滅した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「本所法」の解説

本所法
ほんじょほう

荘園の本所である寺院や貴族が定めた成文法 荘園制の発展とともに成長したもので,本所の家務に関する家務法と,荘園内に発達した荘園法に分けられる。家務法は寺院に発達し,荘園法は領主の徴税権・裁判権をおもな内容とし,本所ごとに内容が異なるものが多い。

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世界大百科事典(旧版)内の本所法の言及

【中世法】より

…次に古代国家の衰退過程において,荘園制とよばれる社寺権門の大土地所有制が発展すると,荘園領主たる本所(ほんじよ)は荘民に対する裁判権を国家から認められて,法廷を用意し,あるいはみずから法を制定し,あるいは荘園内に生まれた法慣習を採用して,荘園支配に備えた。これら荘園領主によって荘園支配のために創出・利用された法の総体を本所法とよぶ。ついで12世紀の末,鎌倉幕府とよばれる武士の政権が,形式的には王朝国家の分肢として,東国を主要な基盤として成立し,急速な発展をとげると,武士団体の長い成長の歴史の中で生み出された武士社会固有の法慣習に,公家法・本所法を部分的にまじえて,鎌倉幕府を支える新しい法体系が形成された。…

【律令法】より

…官庁内部の慣習法は例または行事という言葉で奈良時代からすでに法的に認められてはいたが,公家法の時代には,法のあらゆる分野で,慣習法の体系が重要な法的意義をもつようになった。荘園制を基礎にして発達した本所法もその一つであるが,地方の行政組織の内部に発達してきた国衙(こくが)法ともいうべき慣習法もその一例である。国司制度は,基本の形式は平安時代になっても律令法と変りはなかったが,国司の職が封禄と化し,任地におもむかない遥任の国司が増加するにつれて,諸国の行政は留守所あるいは在庁官人が行うようになった。…

※「本所法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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