歌論書。1巻。荷田在満(かだのありまろ)著。1742年(寛保2)に田安宗武の要請により書かれたもので,在満の和歌観が率直にのべられている。内容は,歌源論,翫歌論,択詞論,避詞論,正過論,官家論,古学論,準則論の八つの論から成る。歌の起源,歌風の変遷,作歌における言葉の問題,堂上歌学に対する批評,古典の研究,和歌の基準などが論じられている。在満は歌の起源について,歌は心をなぐさめるために作られたものであり,のちの時代の歌は詞花言葉を翫(もてあそ)ぶものと考え,《新古今集》を美意識と表現技巧のもっとも発達した最高の歌集と評価した。在満は和歌が政治や道徳に効用をもつことを否定したため,《万葉集》に傾倒し,和歌を政教に有用とする宗武や賀茂真淵と対立することになり,論争が行われた。在満は歌の用語について禁制の言葉を設けることに反対し,藤原定家の歌学の不備を指摘するところに,権威にとらわれない自由な批評精神が認められる。
執筆者:平野 仁啓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
荷田在満(かだありまろ)の歌学書。1742年(寛保2)成立。この年、田安宗武(たやすむねたけ)から和歌に関する10項目について意見を求められ、そのうち8項目について答えたもの。宗武はすぐに『国歌八論余言』を著し、在満に反論し、一方、在満は当時江戸にきていた賀茂真淵(かもまぶち)にも意見を『国歌論臆説(おくせつ)』という形で提出させたため、三者の論争となった。この事件を『国歌八論』論争と称する。このときの在満の立場は、歌は「天下の政務に益なく、また日用常行にも資(たす)くる所なし」という翫歌(がんか)論のそれであった。歌風は新古今風をよしとした。宗武は文芸を教学とみなし、万葉調の歌を好んだため、根本から在満と対立した。
[萱沼紀子]
『重松信弘著『近世国学の文学研究』(1974・風間書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…8代将軍徳川吉宗の次男であり,田安家を創立。荷田在満(かだのありまろ)を国学の師としたが,在満に執筆させた歌論《国歌八論》を,《国歌八論余言》を書いて批評した。なお,賀茂真淵の意見を求め,真淵は《国歌八論余言拾遺》を提出した。…
※「国歌八論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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