8代将軍徳川吉宗(よしむね)二男。幼名小次郎(こじろう)。御三卿(ごさんきょう)田安家の祖、国学者、歌人。1729年(享保14)元服、従三位(じゅさんみ)左中将兼右衛門督(うえもんのかみ)に叙任、徳川氏を称し、68年(明和5)権中納言(ごんちゅうなごん)に累進した。幼少より学問を好み、荷田在満(かだありまろ)を召し抱え、ついで彼の推薦によって賀茂真淵(かもまぶち)を家臣とし、古典研究を深めて三者互いに影響を与え合った。後の国学者に与えた影響も大きい。歌集『天降言(あもりごと)』のほか、在満・真淵との歌論について議論のすえまとめた『歌体約言(かたいやくげん)』、古典の評論・注解である『伊勢物語註(ちゅう)』『小倉百首童蒙訓(おぐらひゃくしゅどうもうくん)』『古事記詳説』などを著し、また服飾、音楽、植物などの研究も行った。
[上野秀治]
『土岐善麿著『田安宗武』全4巻(1942~46・日本評論社)』
(久保田啓一)
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江戸中期の歌人。幼名小次郎。諡(おくりな)は悠然。8代将軍徳川吉宗の次男であり,田安家を創立。荷田在満(かだのありまろ)を国学の師としたが,在満に執筆させた歌論《国歌八論》を,《国歌八論余言》を書いて批評した。なお,賀茂真淵の意見を求め,真淵は《国歌八論余言拾遺》を提出した。やがて真淵を和学御用として任用した。宗武の特色は,万葉調による清新にして自在な歌境をひらいたところにある。歌集《天降言(あもりごと)》がある。
執筆者:平野 仁啓
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1715.11.27~71.6.4
御三卿田安家の初代当主。国学者・歌人。将軍徳川吉宗の次男。松平定信の父。1729年(享保14)元服し従三位左近衛権中将。31年田安門内の屋敷に移る。46年(延享3)采邑(さいゆう)10万石を与えられ,のち権中納言となった。荷田在満(かだのありまろ)・賀茂真淵に国学・和歌を学び,「国歌八論」論争を展開して近世歌壇に大きな影響を与えた。「古事記」などの古典注釈書や,「楽曲考」「服飾管見」などの故実書も著した。
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…真淵は江戸に到着して間もなく百人一首評会を催し,翌38年8月より万葉会,40年(元文5)に《源氏物語》の講義をはじめる。42年9月田安宗武の求めにより,《古今集左注論》を草し,11月に《国歌八論余言拾遺》を書いた。46年より田安家に和学御用として出仕,古代に関心のふかい宗武に仕えたことから,真淵の古代学は急速に成長した。…
…荷田在満(かだのありまろ)著。1742年(寛保2)に田安宗武の要請により書かれたもので,在満の和歌観が率直にのべられている。内容は,歌源論,翫歌論,択詞論,避詞論,正過論,官家論,古学論,準則論の八つの論から成る。…
※「田安宗武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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