日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊地雅章」の意味・わかりやすい解説
菊地雅章
きくちまさぶみ
(1939―2015)
ジャズ・ピアニスト。東京に生まれ6歳よりピアノと音楽理論を学び、東京芸術大学付属高校作曲科を卒業後、1958年(昭和33)に自分のピアノ・トリオを率いてプロ・ミュージシャンとして活動を開始する。1966年ドラム奏者富樫(とがし)雅彦(1940―2007)とともにアルト・サックス奏者渡辺貞夫のカルテットに参加し、初めてのレコーディングを行う。
1968年トランペット奏者の日野皓正(てるまさ)と日野=菊地クインテットを結成する。同年アメリカのジャズ専門誌『ダウン・ビート』Down Beatの海外コンテストに入賞し、奨学生としてバークリー音楽院に留学。1969年に帰国し、菊地雅章セクステットを結成。1970年ジャズと邦楽の融合を図った作品『銀界』を録音。このときのベース奏者ゲーリー・ピーコックGary Peacock(1935―2020)とは以後親交が続く。1972年渡米し、ドラム奏者エルビン・ジョーンズElvin Jones(1927―2004)のグループに参加。同年帰国してからアレンジャー、ギル・エバンズを日本に招き、コンサートをすると同時にレコーディングを行う。これ以降エバンズとの音楽的関係が始まる。
1973年アメリカに移住しニューヨークを活動拠点とする。1977年ギル・エバンズ・オーケストラに参加、エバンズから「世界のキクチ」と認められ3年間在籍する。1978年、エバンズの推薦でマイルス・デービス・グループのリハーサルに参加。1981年、エレクトリック楽器を使用したマイルスの音楽の影響を強く受けた作品『ススト』を発表。この作品は1990年代以降の日本のクラブ・シーンに大きな影響を与えている。1983年ニューヨークのスタジオに多数のシンセサイザーを持ち込み、自分で構築した音のモチーフを元に即興演奏を行う試みを始める。1988年、ファンク・ミュージックをベースとしたバンド、オールナイト・オールライト・オフホワイト・ブギ・バンド(AAOBB)を結成、このバンドを引き連れ帰国し、渡辺と共演する。
1989年(平成1)初めてのソロ・ピアノ・アルバム『アタッチト』を録音。同年アルバム『AAOBB』を発表。1990年ニューヨークのジャズ・クラブでピーコックと共演、これをきっかけとし、ドラム奏者のポール・モチアンPaul Motian(1931―2011)を加えたピアノ・トリオ、テザード・ムーンを結成する。以後、ソロ活動とトリオ演奏が彼の主要なプロジェクトとなる。
1994年帰国し、27年ぶりに日野とのクインテットを再結成、また同年東京・青山のジャズ・クラブで2週間にわたるソロ・ライブを行う。1996年ノイズ・ミュージックのドラム奏者吉田達也(1961― )、ベース奏者菊地雅晃(まさあき)(1968― )とスラッシュ・トリオを結成。同年このトリオにアルト・サックス奏者グレッグ・オズビーGreg Osby(1960― )を加えて全国ツアーを行う。また同年、日本のクラブDJたちとアルバムを制作、活動範囲を広げる。
菊地のピアノ奏法はセロニアス・モンク、バド・パウエルといったモダン・ジャズ・ピアノの巨匠たちの影響を受けつつも、日本人ならではの精密な感性によって独自の境地を表現した。それは伝統的な日本のメロディに準拠するというような表層的レベルではなく、ピアノという西欧楽器の機能を極限まで引き出した、精緻で、かつ即興性においても優れたユニバーサルな表現であった。
[後藤雅洋]