生没年不詳。中国、後漢(ごかん)(25~220)末ごろの名医。安徽(あんき/アンホイ)省亳(はく)県の人。字(あざな)は元化、またの名を旉(ふ)。頭風眩(とうふうげん)の持病に苦しんでいた魏(ぎ)の曹操(そうそう)は、鍼(はり)治療を施す華佗を侍医として離そうとしなかった。しかし華佗はその求めに応じなかったため殺されたという(207年または208年)。また、208年、愛児の倉舒(そうじょ)を病気で失った曹操は、「私は華佗を殺したことを悔やむ。彼を殺したために、この子を死なせることになった」と嘆いたという。華佗は中国医史学上、外科の大家とされ、外科治療のほかに、薬物、鍼、灸(きゅう)などによる治療も行い、五禽(ごきん)の戯(ぎ)(身体鍛錬法)を創案した。
[山本徳子]
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… 民間の医者の養成は個人教育や世襲によっていたが,特別な資格は要求されなかった。後世まで名医として知られている人は,医官のなかでは王叔和や王惟一程度で,民間人のほうが多く,それらの人は華佗(かだ)や姚僧垣(ようそうえん),孫思邈(そんしばく)などのように貴人や官吏の治療にも当たった。しかし医官の最高位が各省の副長官の下程度であったように,医者の社会的地位は低く,とくに職業としての医療行為は低い評価しか受けなかった。…
…1973年末,湖南省長沙市の馬王堆3号漢墓から,導引の具体的な演法を44型以上も図解した帛書(はくしよ)が出土し,これによって秦代から漢代初めの導引の実際が明らかになった。くだって後漢時代(25‐220)の末ごろ,医者として名高い華佗(かだ)は,当時盛んに行われていた導引を,虎,鹿,熊,猿,鳥の5種の型にまとめて五禽戯と称した。これよりのち,五禽戯は,さまざまな変化が加えられながら,今日まで伝えられている。…
※「華佗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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