薬師院(読み)やくしいん

日本歴史地名大系 「薬師院」の解説

薬師院
やくしいん

[現在地名]岡山市磨屋町

江戸時代には外堀の西側端、岡山寺東隣にあった。真言宗(単立)、平医山円覚寺薬師院と号し、本尊薬師如来。「備陽国誌」によると本寺は高野山多聞たもん院。古くは平医山円覚寺と号したが、のちに故あって南方みなみがた村に移して徳光寺と改号した。慶長四年(一五九九)宇喜多秀家出石いずし郷の地を寄付して伽藍を建立し、平医山薬師院とした。同一〇年池田利隆より寺領二〇石を寄付され、光政の時代より別に子院惣福そうふく寺に二〇石寄付された。


薬師院
やくしいん

黄檗宗、威徳堂という。本尊は薬師如来で「こぬか薬師」とよぶ。「京町鑑」に「此町西側医徳堂と云禅寺有、此寺にこぬかやくしとて名薬師有、元此町に鹿子をゆふ女多く住て、日暮ごとに此薬師へ参けいせしゆへ鹿子薬師といひならはせしを、いひあやまりてこぬかやくしとよぶとぞ」とある。また「本尊薬師仏は初め美濃にあり。一士人あり。斎藤山城守此仏を信し霊夢を感得す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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