藍住(読み)あいずみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藍住」の意味・わかりやすい解説

藍住(町)
あいずみ

徳島県北東部板野郡にある町。1955年(昭和30)藍園(あいぞの)、住吉の2村が合併して町制施行。JR高徳(こうとく)線が通じ、徳島自動車道藍住インターチェンジがある。吉野川と旧吉野川に囲まれたデルタ地帯で水利の便がよく肥沃(ひよく)で、かつてのアイ作の中心地。現在はほとんど栽培されていないが、かつてのアイ作農家は「藍こなし」とよばれる乾燥作業をする庭や藍倉をもつ壮大なつくりで、民家の間取りとしても関心を集める。「ひろしき」とよばれる中二階は作業に従事する女たちの寝室であった。藍住町歴史館(藍の館)には阿波(あわ)藍栽培加工用具(国指定重要有形民俗文化財)が展示されている。かつてのアイ作地帯は現在では特産品の洋ニンジンや、ダイコン、ナシなどの栽培に変わり、漬物の食品工業も盛んである。近年では、新たな企業の誘致に取り組んでいる。1975年に新都市計画法による計画区域の指定を受け、住宅地の開発が進み、対岸の徳島市のベッドタウンとなっている。勝瑞城(しょうずいじょう)(城館跡は国指定史跡)は室町時代細川氏が築いたもの。面積16.27平方キロメートル、人口3万5246(2020)。

[高木秀樹]

『『藍住町史』(1965・藍住町)』『『藍住町史 増補』(1987・臨川書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「藍住」の意味・わかりやすい解説

藍住[町] (あいずみ)

徳島県北東部,板野郡の町。1955年藍園・住吉2村が合体,町制。人口3万3338(2010)。吉野川下流北岸,徳島平野の中央部に位置する。室町時代は幕府管領を務めた細川氏の本拠地で,町の東部に同氏の居城勝瑞(しようずい)城が築かれ,1582年(天正10)に長宗我部元親に攻め落とされるまで,阿波国の政治・文化の中心として栄えた。近世初期から明治末期までアイ作の中心地であったが,現在は電照菊,梨,れんこんなどの栽培が盛んである。工業はみそ,漬物などの食品工業のほか,木工木材業,鉄工業が行われる。近年は徳島市のベッドタウン化が進んでいる。徳島自動車道のインターチェンジがある。
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百科事典マイペディア 「藍住」の意味・わかりやすい解説

藍住[町]【あいずみ】

徳島県北東部,吉野川下流の板野郡の町。近世初期から明治末期までアイ作の中心地であった。肥えた沖積土壌を利用し,水田耕作のほか,野菜,花卉(かき)栽培が盛ん。近年は都市化が進む。中世に細川氏の阿波国支配の中心であった勝瑞(しょうずい)城跡がある。16.27km2。3万3338人(2010)。

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