中国,陝西省西安市の南東約30kmにある県。前4世紀,秦の孝公のときに県が設置されたのに始まる。長安を取り巻く要衝の一つとして,唐代に至るまでほぼ京兆に属した。藍田の南東にある嶢(ぎよう)関(藍田関)に秦軍と対峙した漢の高祖劉邦が,張良の奇計を用いて大いに秦を破り,藍田から咸陽に入って関中一番乗りを果たすとともに,秦の2世皇帝の降服をうけたことは著名な史実である。ところで〈玉の美なるものを球といい,その次なるを藍という〉と称するように,県内に美玉を出すことより藍田の名がおこった。県の東方の藍田山(あるいは玉山,覆車山ともいう)は美玉の産出でことに知られ杜甫などの詩句が残る。藍田をはじめ酒泉(甘粛省),岫岩(遼寧省),南陽(河南省)産の玉は,現在でも玉器につくることができる。藍田,酒泉,岫岩の3ヵ所では蛇紋岩を産し,南陽では普通角セン石と硬玉を産するという。なお,南の寺坡村(じはそん)では西周後期の青銅器が出土している。
執筆者:町田 章
藍田は二つの更新世遺跡の名称にもなっている。陳家窩村からは1963年に下顎骨(藍田 1)が,公王嶺からは1964年に頭骨(藍田 2)が発見され,両者とも藍田人と呼ばれている。年代は,頭骨は90万~80万年前あるいは120万~110万年前,下顎骨は60万年前といわれ,東アジアの人類化石の中で最も古い。頭骨は30歳ほどの女性のものと見られる。つぶれているが,頭蓋腔容積(脳容積より10%ほど大きい)は780mlと推定された。骨は厚く,北京原人よりは原始的な特徴が見てとれる。下顎骨は,第3大臼歯がないが,先天的な欠如と見なされ,壮年の女性のものと推定されている。ジャイアントパンダとステゴドンゾウが特徴的な動物相は温暖な亜熱帯の気候を示している。人骨の発掘地点からは石器が発見されていないが,近くの同じ層順から大型の石核や剥片の石器が出土している。
執筆者:馬場 悠男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、陝西(せんせい)省中部の県。西安(せいあん)市に属する。人口65万4500(2014)。県政府所在地は藍関(らんかん)街道。西安の南東郊外、㶚河(はが)の上流、終南山(しゅうなんざん)山麓の黄土(こうど)台地上に位置する。玉(ぎょく)の美しいものを藍といい、この付近の山でそれを産するところから県名ができたという。県の南東より藍田関を通って秦嶺(しんれい)山脈を越える道は、関中(かんちゅう)より湖北(こほく)へ至る要路の一つである。平野部では小麦、トウモロコシなどを、山地ではアブラギリ、ウルシ、薬材などを産する。農業中心で、工業化は遅れている。
上下悟真寺(じょうげごしんじ)、水陸庵(あん)などの史跡があるほか、1963~1964年に発見された洪積世(更新世)の人類化石は、藍田原人として有名である。
[秋山元秀・編集部 2017年7月19日]
…上記の年代が確実であれば,西侯度と元謀の資料はアフリカのオルドバイ文化に対比されるものであり,中国にも猿人(アウストラロピテクス)の文化が存在したことになる。また約100万年前の人類頭蓋骨と顔の一部の化石が陝西省藍田県公王嶺から発見され,石器と哺乳動物化石も伴出した。山西省匼河(あんが)では黄土の下の砂礫層中から,公王嶺と同時期のチョッパー,チョッピングトゥール,スクレーパー,三稜尖頭器などの石器138点が発掘された。…
※「藍田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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