藤井厚二(読み)フジイ コウジ

20世紀日本人名事典 「藤井厚二」の解説

藤井 厚二
フジイ コウジ

大正・昭和期の建築家,建築学者 京都帝国大学教授



生年
明治21(1888)年12月8日

没年
昭和13(1938)年7月17日

出身地
広島福山

学歴〔年〕
東京帝大工学部建築学科〔大正2年〕卒

経歴
大正2〜8年竹中工務店に勤務。9年京都帝大に招かれ、15年同大学教授に就任建築環境工学開拓者の一人で、日本気候風土と室内環境関係に注目し、換気熱伝導採光などの基礎的研究で先駆的業績をあげた。また実作の設計も積極的に行い、住宅を中心に50件余の作品がある。それらを通じて日本の気候・生活・建築材料と西洋的な空間構成とを融合させる手法を提示した。また京都・大山崎に4期にわたって自邸を兼ねた実験住宅を建設、研究と設計双方に資した。主著に「日本の住宅」「聴竹居図案集」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤井厚二」の意味・わかりやすい解説

藤井厚二
ふじいこうじ

[生]1888.12.8. 広島,福山
[没]1938.7.17. 東京
建築学者,建築家。 1913年東京帝国大学卒業。京都大学に招かれ (1920) ,26年に教授。自邸を実験台にして通風,熱音,設備などの機能面と美的側面両面から住様式を探求した。自邸「聴竹居」 (27) は,木造平屋の主屋と閑室から成り,洋風生活を基本に和風生活の雅趣を取込んだもの。和・洋の住様式のはざまで揺れ動いた日本近代住宅の試みのなかにあって,一つの到達点として評価されている。その研究成果は,住宅論『日本の住宅』 (28) に結実した。

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百科事典マイペディア 「藤井厚二」の意味・わかりやすい解説

藤井厚二【ふじいこうじ】

建築学者,建築家。広島県生れ。1913年東大建築学科卒業後,1919年まで竹中工務店勤務。1920年京大建築学科講師,1926年教授。日本の気候風土と室内環境の関係を科学的に分析して和洋建築の機能的な融合を説き,環境工学研究の草分けとなる。また自説を検証するため,1915年―1928年京都府大山崎に〈実験住宅〉と称した5軒の自邸を建設した。著書《日本の住宅》(1929年)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井厚二」の解説

藤井厚二 ふじい-こうじ

1888-1938 大正-昭和時代前期の建築学者。
明治21年12月8日生まれ。竹中工務店をへて,大正15年京都帝大教授となる。建築環境工学の分野を開拓。気候風土の科学的分析により採光,換気を重視する自邸をかねた実験住宅を建設した。昭和13年7月17日死去。51歳。広島県出身。東京帝大卒。著作に「日本の住宅」など。

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