20世紀日本人名事典 「藤原兼房」の解説 藤原 兼房(23代目)フジワラ カネフサ 昭和期の刀匠 藤原兼房利器製作所創業者。 生年明治32(1899)年2月9日 没年昭和52(1977)年7月1日 出身地岐阜県 本名加藤 鉀一(カトウ コウイチ) 経歴美濃の関伝日本刀の伝統を守り、昭和28年藤原兼房利器製作所を設立。刃物製品の生産をはじめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原兼房」の解説 藤原兼房(2) ふじわらの-かねふさ 1153-1217 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。仁平(にんびょう)3年生まれ。藤原忠通(ただみち)の子。母は藤原仲光の娘加賀。永万2年(1166)従三位。内大臣をへて太政大臣となり,従一位にいたる。正治(しょうじ)元年(1199)出家した。兄九条兼実に「才なく,功績もなし」と評されている。建保(けんぽ)5年2月8日死去。65歳。法名は定真。号は禅林寺,高野。 藤原兼房(1) ふじわらの-かねふさ 1001-1069 平安時代中期の官吏,歌人。長保3年生まれ。藤原兼隆の長男。母は源扶義(すけよし)の娘。播磨(はりま),讃岐(さぬき)などの国守を歴任。中宮亮(ちゅうぐうのすけ),正四位下にいたる。柿本人麻呂をしたい,夢にみたその像を絵師にえがかせたという。「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に16首がはいる。延久元年6月4日死去。69歳。 藤原兼房 ふじわら-かねふさ 1899-1977 昭和時代の刀工。明治32年2月9日生まれ。兼房23代。美濃(みの)(岐阜県)の関伝(せきでん)日本刀の伝統をまもりつづけるとともに,昭和28年藤原兼房利器製作所を設立。刃物製品の生産をはじめ,関市の刃物産業の基盤をつくった。昭和52年7月1日死去。78歳。岐阜県出身。本名は加藤鉀一(こういち)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例