朝日日本歴史人物事典 「藤原長房」の解説
藤原長房
生年:嘉応2(1170)
鎌倉前期の公卿。正三位民部卿。後鳥羽院の近臣。参議光長と参議藤原俊経の娘との子。建久2(1191)年蔵人,同5年右少弁,正治2(1200)年蔵人頭,元久1(1204)年参議となる。同2年後鳥羽上皇の皇女煕子内親王の乳父となり,皇女を引き取ったが,その際に院の御所二条殿の焼亡した跡を下賜された。また九条兼実・良経,兼実の娘の宜秋門院任子(後鳥羽中宮)に仕えた。承元4(1210)年出家。後鳥羽の幕府打倒の意向を諫めかねて出家したとも,法相学を大成した貞慶の徳を慕って出家したともいわれる。法名は覚心。その後は奈良に移居して貞慶の門人となり,慈心上人,海住山民部卿入道と号した。
(秋山喜代子)
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