藤原長房(読み)ふじわらのながふさ

朝日日本歴史人物事典 「藤原長房」の解説

藤原長房

没年:寛元1.1.16(1243.2.6)
生年嘉応2(1170)
鎌倉前期の公卿正三位民部卿。後鳥羽院近臣参議光長と参議藤原俊経の娘との子。建久2(1191)年蔵人,同5年右少弁,正治2(1200)年蔵人頭,元久1(1204)年参議となる。同2年後鳥羽上皇皇女煕子内親王の乳父となり,皇女を引き取ったが,その際に院の御所二条殿の焼亡した跡を下賜された。また九条兼実・良経,兼実の娘の宜秋門院任子(後鳥羽中宮)に仕えた。承元4(1210)年出家。後鳥羽の幕府打倒の意向を諫めかねて出家したとも,法相学を大成した貞慶の徳を慕って出家したともいわれる。法名は覚心。その後は奈良に移居して貞慶の門人となり,慈心上人,海住山民部卿入道と号した。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原長房」の解説

藤原長房(2) ふじわらの-ながふさ

1170-1243 鎌倉時代の公卿(くぎょう),僧。
嘉応(かおう)2年生まれ。藤原光長の子。母は藤原俊経の娘。後鳥羽(ごとば)上皇の近臣。参議をへて民部卿,正三位。承元(じょうげん)4年(1210)出家して法相(ほっそう)宗の貞慶に師事山城(京都府)海住山寺再興につとめ,海住山民部卿入道とよばれた。仁治(にんじ)4年1月16日死去。74歳。法名は覚心,覚真。号は慈心。

藤原長房(1) ふじわらの-ながふさ

1030-1099 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
長元3年生まれ。藤原経輔の次男。母は日野資業(すけなり)の娘。正三位,参議。大宰大弐(だざいのだいに)をかねて赴任したが,嘉保(かほう)元年(1094)彦山(ひこさん)衆徒蜂起(ほうき)で都ににげかえり,世人に半大弐とわらわれた。「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に6首がはいっている。康和元年9月9日死去。70歳。

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