日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤本敏夫」の意味・わかりやすい解説
藤本敏夫
ふじもととしお
(1944―2002)
1960年代の学生運動活動家。兵庫県西宮市生まれ。1963年(昭和38)同志社大学文学部新聞学科入学、鶴見俊輔のゼミで新聞学を専攻。同大の新聞学研究会の学習会でエンゲルスの『空想から科学へ』を読み、これが彼にとっては「決定的といってもよい選択」となった。大学2年生のとき学生運動に参加し、「今までとりとめもなくバラバラに頭に入っていた一つ一つの出来事がすべて体系だった相互関連の中で理解できる」ことに感激する。
1965年京都府学連書記長に選出される。67年「10・8佐藤(栄作、当時首相)訪米阻止」闘争を契機に上京。翌68年、三派系(革共同中核派、反帝学生評議会=反帝学評、社会主義学生同盟=社学同の三派が指導する)全学連委員長となる。同年10・21国際反戦デーの防衛庁突入行動等により逮捕される。こうした一連の行動について後に「1968年を象徴とするその年代後半の学生運動は、時代そのものがやりきれない思いを噴出させたものであって、言ってみれば近代社会の深呼吸であった」と中断した自伝(『僕の生涯』(2003))で述懐している。
1968年出所後、反帝学評の本部のあった東京医科歯科大学事務所が、社学同の反対派活動家によって無惨に破壊された状況を見て呆然とする。仲間との敵対関係と組織内暴力に絶望した藤本は、69年学生運動から離脱。その後長崎県平戸に移り「地球と人間の問題」について考察する。72年日本キューバ文化交流所事務局長に就任。同年、69年のアジア太平洋協議会(ASPAC)第4回閣僚会議開催に反対して御茶ノ水駅周辺で行った「神田カルチエ・ラタン闘争」(パリの学生街カルチエ・ラタンは、当時、フランスの学生運動の最大拠点であった)を指揮したことに対して懲役3年8か月の実刑判決を受け、東京・中野刑務所に収監される。獄中で連合赤軍事件を知り、「よく知っている奴が殺された方にも殺した方にもいて、自分の体から生き血を太い注射器で抜かれるような」絶望的気分に襲われた。
監獄生活中に歌手加藤登紀子(1943― )と結婚。その後「農業」を志望して栃木県黒羽(くろばね)刑務所に服役、「構内清掃衛生夫土工」をしながら、出所するまで園芸の仕事に従事。その間に「食」への思いの強さと、その元になる「農」との結合に強い興味と関心をもつ。1974年出所。76年医師高倉煕景(ひろかげ)(1917―84)の提言する「医農学」に共感し、藤田和芳(かずよし)(1947― )らと有機農業の育成・普及を促す「大地を守る会」を立ち上げ、会長に就任。翌77年、有機農産物および無添加食品を販売し、有機農業を「普及・促進」するために、ボランティア活動ではなく、出資をつのり、利益を農業開発に投資するともに株主に分配する「株式会社大地」を設立、代表取締役に就任。81年千葉県鴨川市に移住、21戸の農家を組織して農事組合法人「鴨川自然王国」を設立、代表理事に就任。農業と都市住民とを結びつけるネットワーク型組織による「百姓親類付き合い」を目ざす。このネットワーク組織作りの動機は、かつて大学で鶴見の薫陶を受けた藤本が、団結による組織論に依拠して革命を目指すレーニン型党組織論に違和感をもち、「共同体」志向を強めたことにある。83年、日本における有機農業運動のリーダーであった有機農業研究会の一楽(いちらく)照雄(1906―94)から株式会社大地の設立に対して、「農産物を、商品と呼ぶ」ことを厳しく批判されたのを理由に、株式会社大地および大地を守る会の代表を辞任。85年、環境と農業との結合を目ざすネフコ(Natural Ecological Farm Co.)を設立。
1992年(平成4)政党「希望」を立ち上げて参議院選挙比例代表に立候補し、落選。97年農産物を環境・安全性・味の観点から総合的に評価する株式会社農業食品監査システム(AFAS)を確立。99年農林水産省関東農政局諮問委員に就任、持続循環型農業の普及を提言。2000年全国の青年農業家、流通団体など1000人以上を集めて持続農業推進全国集会を開催。同年株式会社ナチュラル・コミュニケーションズを設立して、自ら開発した「自然王国」ブランド農産物による農村と都市との循環型ライフスタイルを提案。02年農業の復活と都市生活の活性化を図るため当時の農林水産大臣武部勤(たけべつとむ)(1941― )に建白書(『農的幸福論』(2002)所収)を提出し、これが最後の社会的発言となった。同年7月肝臓癌で死去。そのほかの著書には『人間はこの時代に生きられるのか』(1972)、『人はむかし、魚だった』(1982)、『不健康長寿国日本』(1986。共著)、『やまももの樹に抱かれて』(1988)、『希望宣言』(1992)、『藤本敏夫の糖尿病変革論』(1995)、『現代有機農業心得』(1998)などがある。
[蔵田計成]
『『人間はこの時代に生きられるのか』(1972・合同出版)』▽『『人はむかし、魚だった――自分ひとりからの出発』(1982・ダイヤモンド社)』▽『『やまももの樹に抱かれて――母と子の自然王国』(1988・冬樹社)』▽『『希望宣言――日本の「風と土」をとりもどす「無農薬政治」への道』(1992・ダイトプレス社)』▽『『藤本敏夫の糖尿病変革論――愛する糖尿者に贈る』(1995・廣済堂出版)』▽『『現代有機農業心得――「農」には天・地・自然の全てのメッセージがある』(1998・日本地域社会研究所)』▽『『僕の生涯』(2003・私家版)』▽『西丸震哉・藤本敏夫著『不健康長寿国日本』(1986・家の光協会)』▽『加藤登紀子編、藤本敏夫著『農的幸福論――藤本敏夫からの遺言』(2002・家の光協会)』