藤樹書院(読み)トウジュショイン

デジタル大辞泉 「藤樹書院」の意味・読み・例文・類語

とうじゅ‐しょいん〔‐シヨヰン〕【藤樹書院】

滋賀県高島市にあった中江藤樹の学塾。明治13年(1880)に焼失したが、のち再興。江西書院

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精選版 日本国語大辞典 「藤樹書院」の意味・読み・例文・類語

とうじゅ‐しょいん‥ショヰン【藤樹書院】

  1. 滋賀県高島市安曇川(あどがわ)町上小川にあった中江藤樹の旧宅。また、その私塾でもあった。明治一三年(一八八〇)焼失。西北隅に藤樹遺愛の藤の老樹がある。国史跡。江西書院。

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百科事典マイペディア 「藤樹書院」の意味・わかりやすい解説

藤樹書院【とうじゅしょいん】

日本陽明学の祖,中江藤樹郷里近江小川村(現・滋賀県高島市安曇川町)に開いた私塾で,国の史跡に指定。自宅が手狭になり,藤樹が急逝する半年前の1648年春に,弟子や村人たちの手によって完成。1880年に村の大火に遭い類焼したが,1882年に現在の姿に再建直筆の〈致良知〉の書のほか,遺品・遺物を展示,ゆかり行事なども行われる。また近くには,1922年に完成した中江藤樹を祀る藤樹神社があり,隣接して近江聖人中江藤樹記念館が1988年に開館している。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤樹書院」の解説

藤樹書院
とうじゅしょいん

中江藤樹の塾。近江国高島郡小川村(現,滋賀県高島市安曇川町)に開塾。1634年(寛永11)伊予国大洲(おおず)藩を脱藩した藤樹は故郷に帰り,道徳実践の学を講じた。自宅の庭に藤の木があったので,人々は藤樹書院と称した。39年「藤樹規」「学舎座右銘」を作って諸生に示し,近隣および大洲・岡山などからの入門者が多かった。当初は朱子学の影響をぬけ切れなかったが,儒教を宗教的な側面でとらえ,孝経に傾斜し,良知を強調した。書院跡は国史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤樹書院」の解説

藤樹書院
とうじゅしょいん

江戸前期,中江藤樹が近江に開いた私塾
1634年郷里の近江国小川村に創立。『中庸』の思想の中核として「格物致知 (かくぶつちち) 」に独自の見解を示し,実践を重んじ,里人の徳化につとめた。

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