最新 心理学事典 「虚偽自白」の解説
きょぎじはく
虚偽自白
false confession
【虚偽自白の類型】 虚偽自白には,いくつかのタイプがある。たとえば,自分にとって大切な人を守るために無実の人が身代わりになって自白するもの,あるいはマスコミを騒がせる大事件が起こると,まったく無関係の人が「自分が犯人だ」と名乗り出るようなものなどがある。しかし,実際の刑事裁判で最も問題になるのは,そのような自発的な虚偽自白voluntary false confessionではなく,なんらかの状況・証拠によって犯人と疑われた人が,取り調べの場で一定の圧力をかけられ,その状況下で自白するものである。この強いられた虚偽自白coerced false confessionにはさらに二つのタイプがある。圧力下の取り調べで自分の記憶に自信をもてなくなり,ほんとうに自分がやったかもしれないと思うようになって自白するもの(強制自己同化型自白)と,自分がやっていないことははっきりしているが取り調べが辛くなり取調官の追及に迎合して自白してしまうもの(強制迎合型自白)である。虚偽自白の中で最も典型的なのは,後者の強制迎合型である。以下に述べるのはこのタイプの心理メカニズムである。
この虚偽自白のプロセスには,「わたしがやりました」と自白へ転落する過程と,自白転落後に犯行の筋書を語っていく展開過程とが区別されるが,いずれの過程でも取り調べの場の強い圧力が最大の要因となる。取調官が,推定無罪の理念のとおりに,無実の可能性を念頭において被疑者を調べれば,取り調べの場の圧力が不当に強くなることは避けられるが,ほとんどの虚偽自白事例では,十分な証拠がそろう以前に,取調官が被疑者を犯人だと確信し,執拗に追及を重ねている。いわば取調官の証拠なき確信confidence without evidenceが被疑者を追い詰め,虚偽自白に陥れるのである。
【虚偽自白への転落】 虚偽自白に落ちるのは,当人がよほど知的,精神的に脆弱か,あるいは拷問のようなひどい取り調べがあったからだと考えられやすい。しかし,第三者からはそれほどひどい圧力状況にさらされているとは思えないレベルで,無実の人が自白に落ちる例は少なくない。取り調べの場で被疑者が受ける心理的圧力は一般に想像されるよりはるかに厳しいのである。そこには次のような要因が複合している。①身柄を押さえられれば,日常生活を断たれ,自分を支えてくれていた関係から切り離され,孤立無援の状況におかれ,心理的安定を失う。②留置場では食事,排泄,睡眠の基本的生活まで他者に支配され,自由が大きく限局されて,自己コントロール感を失う。③取調官から犯人扱いされ,ときに罵倒され,屈辱を受けつづけ,圧倒的な劣位の状況におかれる。④関連のない事柄についてもあれこれ非難され,ゆえなき罪責感が募る。⑤自分はやっていないといくら弁解しても聞き入れてもらえず,無力感に打ちひしがれる。⑥この辛さ,苦しさがいつまで続くかがわからず,時間的展望をもてなくなる。⑦否認を続けているとかえって刑が重くなると脅され,否認することの不利益を強調されて,自白したほうが得策だと思わされる。⑧取調官と対決する緊張に耐えられず,迎合的な気分になり,また時折見せられる取調官の温情にほだされる。
これらの要因が複合したとき,被疑者を虚偽自白へと導く圧力は,わたしたちが想像するよりはるかに強いものになる。有罪になったときの刑罰の重さを考えれば,やはり自白は思いとどまるのが普通だろうと考えられやすい。しかし,この刑罰の重さということが虚偽自白の歯止めにはならない。一つには,予想される刑罰は,あくまで将来の予想であって,自白すればただちに刑罰を受けるわけではない。この場では辛くて自白しても,裁判官に訴えればわかってもらえるだろうという楽観も働く。それに,無実の被疑者には,否認を続けている限り,今味わっているこの辛苦は終わることなく続くように思えてしまう。そこで,とにかくここは認めて,楽になりたいという心情に駆られるのは自然である。また一つには,無実の被疑者は刑罰を受けることに実感をもてない。なにしろ,自分はやっていないのである。やっていない自分がどうして刑罰を受けるのだという気持ちがあって,それをぬぐえない。その点では真に犯行を犯した者の方が刑罰の現実感が強く,それが歯止めとなって自白には落ちにくいということにもなる。裁判ではしばしば「死刑になるかもしれない重大犯罪であることを認識しながら自白していることがうかがわれ,特段の事情なき限り措信しうる」といった認定がなされる。しかしこの種の認定が,実は,無実の被疑者の虚偽自白の心情からどれほど外れたものであるかを知っておく必要がある。
【虚偽自白の展開】 無実の被疑者がどうにも耐えられなくなって「わたしがやりました」と認め,自白に落ちると,取調官は被疑者が真犯人であるという確信をさらに深め,続いて,その犯行をどのようにやったかを語るように求める。ところが,被疑者は,無実である限り,実際にどのようにやったかはわからない。しかし,そこで「わかりません」と言えば,取調官からはまた否認に戻ったと思われて,それまでの苦しみに再び戻ることになる。現にそのようにしていったん否認に引き返す被疑者もいる。しかし,結局はまた苦しくなって自白に落ちる以外にない。追い込まれ,もはや引き返せないところまできたとき,被疑者はそこから自分が犯人になったつもりで犯行筋書を考えていくほかに手がない。多くの場合,被疑者は事件の周辺の人物で,事件そのものはマスコミのニュースや近所のうわさを通しておおよそ知っている。また取り調べの中で,問題となる証拠を突きつけられたり,捜査側の想定をあれこれと聞かされていて,自白に転落した時点では,おおよそどのような犯行であったのかを想像することができるようになっている。つまり無実の人であっても,「犯人を演じる」ことができるのである。もちろん真犯人でない以上,いくら想像力を巡らせてもわからないところがある。それに想像していったん語った筋書に証拠と矛盾するところも出てくる。しかしそのときには取調官がそれを指摘するし,それに沿って供述を訂正していけば,最終的にはおおよそ捜査側の把握した証拠と合致する筋書ができあがっていく。ただ,それでも無実の被疑者が犯行の実際を知らないことが自白調書に残されることがある。これはいわば無知の暴露exposure of ignoranceであり,その自白内容そのものが無実の証拠となる。このように無実の人が「犯人を演じる」というのは,いかにも倒錯した心理であるが,過去の冤罪事件の虚偽自白の多くは,まさにこれが事実であることを示している。冤罪事件として有名な1954年の仁保事件では,被疑者が「犯人になったんや,おれがやったんや思うて,ものすごい自分で犯人になりすまして」語ったということが,録音テープに生々しく残されている。「犯人になったろ」という心理は常軌を逸しているように見えるかもしれない。しかし常軌を逸しているのは被疑者ではなく,被疑者がおかれた状況の方である。常軌を逸した状況の中で,被疑者はごく正常な心理として「犯人になる」ことを選ぶ。まさに虚偽自白が「悲しいうそ」であるゆえんである。 →供述 →司法面接 →認知面接 →ポリグラフ
〔浜田 寿美男〕
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