行勝(読み)おこないがち

精選版 日本国語大辞典 「行勝」の意味・読み・例文・類語

おこない‐がちおこなひ‥【行勝】

  1. 〘 形容動詞ナリ活用 〙 仏道修行に専心して日を送るさま。
    1. [初出の実例]「行くすゑ短かう、物心ぼそくて、おこなひがちになりにて侍れば」(出典:源氏物語(1001‐14頃)柏木)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「行勝」の解説

行勝(2) ぎょうしょう

1130-1217 平安後期-鎌倉時代の僧。
大治(だいじ)5年生まれ。はじめ京都仁和寺(にんなじ)華蔵院宮の侍童。真言をまなび,心覚から灌頂(かんじょう)をうける。山岳修行をつみ,高野山一心院谷に草庵をむすんで五穀をたち,「木食(もくじき)上人」とよばれた。高野山の堂塔の復興,建立につくし,止雨法に霊験があったという。建保(けんぽ)5年5月7日死去。88歳。摂津高木(大阪府)出身。幼名は万寿麻呂。法名は真俊。

行勝(1) ぎょうしょう

1049-1124 平安時代中期-後期の僧。
永承4年生まれ。敦貞(あつさだ)親王王子三条天皇曾孫(そうそん)。天台宗近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺の頼豪師事。近江梵釈(ぼんしゃく)寺の別当となって大僧都(だいそうず)にのぼった。天治(てんじ)元年4月3日死去。76歳。通称は唐房。号は尊教房,青竜院。

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朝日日本歴史人物事典 「行勝」の解説

行勝

没年:建保5.5.7(1217.6.12)
生年:大治5(1130)
平安末期の真言宗の僧で,穀味を断ち山野を跋渉した木食上人として有名。仁和寺で密教灌頂を授かり,全国の聖地霊岳を訪ねて荒行に徹し霊力を獲得。やがて高野山に住して復興に邁進した。仏教,神道ともに通じ,卓越した人格と霊力ゆえに貴賤を問わぬ尊崇を受けた。

(正木晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

普及版 字通 「行勝」の読み・字形・画数・意味

【行勝】こうしよう

脚絆。

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