「ぐんぱい」とも読む。広義では軍隊の指揮者または指揮することであるが、一般には、戦場において軍の配置や進退を指図する陣具をさす。軍配団扇(うちわ)、団扇(だんせん)ともいう。甲冑(かっちゅう)の腰に軍配を差した『小笠原(おがさわら)朝経画像』(永正(えいしょう)年間)と『大内義興(よしおき)画像』(永正8年賛)の描写、および『北条五代記』『上杉憲実(のりざね)記』『甲陽軍鑑』などの記述から室町後期に始まるものと推測される。羽は鉄、革、木、網代(あじろ)などでつくり、形は円形とひょうたん形が多く、まれに角形がある。黒漆・朱漆塗り、あるいは金銀箔(はく)押しなどとし、無地のほか、戦勝祈願や日取り・方位の吉凶を占うための、八卦(はっけ)、二十八宿あるいは日月、卍(まんじ)、梵字(ぼんじ)などを描くことが多い。長い柄(え)をつけ、その手元に指溜(ゆびだまり)の窪(くぼ)みをつくり、さらに小孔をうがち腕貫(うでぬき)の緒を設けた。江戸時代には、軍学の諸流派により規定された製法、形状、取り扱い方などが唱えられたため形式化したが、その一方、文様の彫刻や象眼(ぞうがん)を施した華麗な飾り金物を打った工芸的なものもつくられた。
[山岸素夫]
軍配が相撲(すもう)行司に伝わったのは、武士が戦陣の余暇に武術の一芸である相撲技を競うとき、軍配をもって勝負の判定をしたことから始まり、のちに江戸時代の勧進(かんじん)相撲に用いられるようになった。初め軍扇、唐団扇、一閑張(いっかんばり)なども使われたが、元禄(げんろく)年間(1688~1704)のころから軍配を主として用いるようになった。形は円形、小判形、ひょうたん形などで、資材はカシ、シタン、カリンなどの堅木を用い、縁を金属で巻き、羽の中央に鉄や木の柄をつけた。重量は750グラムから1キログラム前後である。「天下泰平」「一味晴風」などの文字や紋章を金泥(きんでい)で記し、柄の端に腕貫の穴があって長打ち紐(ひも)をつける。立行司、三役行司などの用いるものは「譲り団扇」といって、古くは江戸時代から代々の行司が譲り受け続けたものである。現在でも軍配は力士の立合いと勝敗の判定に用いられる。
[池田雅雄]
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…平安時代に扇子が発達して,うちわの使用は減じたようであるが,主殿頭(とのものかみ)というような官吏は,天皇の行幸列のために儀式的なうちわを管理していた。戦国時代以後,武将は陣中で軍配うちわを使用するようになった。このうちわは鉄あるいは皮でつくり,これを漆塗りにし,日,月,九曜星などを描いて鉄の柄をつけ,打紐を通した。…
…兵学,兵法ともいう。軍学は一般に隊伍・兵器の配合,軍役の数などを論ずる軍法が中心と思われがちだが,その内容は,出陣・凱旋・首実検などの式を定める〈軍礼〉,武器の製法・製式を論ずる〈軍器〉,戦略・謀計を論ずる〈軍略〉,そして〈軍法〉,雲気・日取り・方角の吉凶を占う〈軍配〉に分けられ,その奥義は軍配とされる。中世より軍学は《七書》や〈八陣,遁甲〉など中国軍学の強い影響下に,仏教・道教など雑多な要素をもって形成され,軍配を中心とした《兵法秘術》(1354),《訓閲集》(1417),《兵術軍敗》(1503)などの著述があるが,実戦への影響は分明ではない。…
※「軍配」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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固定翼機でありながら、垂直に離着陸できるアメリカ軍の主力輸送機V-22の愛称。主翼両端についたローターとエンジン部を、水平方向から垂直方向に動かすことで、ヘリコプターのような垂直離着陸やホバリング機能...
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