日本大百科全書(ニッポニカ) 「衣川館」の意味・わかりやすい解説
衣川館
ころもがわのたち
岩手県平泉(ひらいずみ)地区にあった古代末期の城柵(じょうさく)。衣川に沿って置かれたので、この名がある。衣川は中尊寺のある山の北東裾(すそ)を流れて、北上川に落ちていた。789年(延暦8)の胆沢蝦夷(いさわえぞ)経営に衣川営(ころもがわのたむろ)という野戦基地が置かれた。これがのち、衣川関に再編、胆沢城の南の関門となったと思われる。平安後期、奥六郡俘囚長(ふしゅうちょう)安倍頼時(あべのよりとき)は、この関の北隣に衣川館を築いて、安倍氏の本拠とした。前九年の役には、源義家(よしいえ)、安倍貞任(さだとう)の間に、衣(川)の館をめぐる歌合戦の物語も伝えられている。平泉時代になると、平泉に逃れた源義経(よしつね)の宿館高館(たかだち)も衣川館とよばれている。しかし安倍の衣川館とは違い、下流の南東に移動している。
[高橋富雄]