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衣川館 ころもがわのたて

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

衣川館
ころもがわのたて

高館,判官館ともいう。源義経の居館。その遺跡は,岩手県西磐井郡平泉町高館の,衣川南岸で,北上川との合流点のあたりといわれ,その規模は,東西約 650m,南北約 140mとする説が有力である。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本の城がわかる事典の解説

ころもがわのたち【衣川館〈岩手県平泉町〉】

岩手県西磐井郡平泉町高館にあった奥州藤原氏の居館。源義経最期の地とされている場所である。中尊寺の東南方向の北上川に面した丘陵にある。『吾妻鏡』によれば、源頼朝に京を追われ、奥州藤原氏第3代の藤原秀衡(ひでひら)を頼って奥州に落ち延びた義経主従は、秀衡の死後の1189年(文治5)閏4月30日、居館にいたところを頼朝の圧迫に耐えかねた第4代当主の藤原泰衡(やすひら)に急襲され、最期を遂げた。その居館が、この衣川館であると古くから考えられてきた(ただし、近年になって奥州市衣川区七日市場にあった藤原氏の接待館が衣川館であるとする説も出てきている)。仙台藩第4代藩主の伊達綱村は1683年(天和3)に、ここに義経(ぎけい)堂を建立し、1689年(元禄2)には松尾芭蕉が当地を訪れて、有名な「夏草や つはものどもが 夢のあと」の句を詠んでいる。JR東北本線平泉駅から徒歩約20分。◇「衣河館」とも記される。また、高館(たかだち)、判官館(はんがんだて)、「ほうがんだて」とも呼ばれる

ころもがわのたち【衣川館〈岩手県奥州市〉】

岩手県奥州市衣川区にあったと推定されている、平安時代後期の奥六郡(おくろくぐん)(のちの陸中)の豪族安倍氏の館。安部忠頼、忠良、頼良の3代が築いた城郭と伝えられている。擬定地とされている場所には遊歩道と展望台が整備され、安倍氏の館の遺構が点在している。現在の正式名称は「安倍館跡」。ちなみに、盛岡市の安倍館とは別のものである。また、源義経の最期の地となった衣川館は、この安倍氏の館跡に築かれ、その名が引き継がれたともされるが、通常は平泉の衣川館をさすことが多い。頼良はのちに頼時と改名し、衣川柵に本拠を置いた。奥州市衣川総合支所から車で約10分。◇舞鶴館、落合館とも呼ばれた。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

衣川館
ころもがわのたち

岩手県平泉(ひらいずみ)地区にあった古代末期の城柵(じょうさく)。衣川に沿って置かれたので、この名がある。衣川は中尊寺のある山の北東裾(すそ)を流れて、北上川に落ちていた。789年(延暦8)の胆沢蝦夷(いさわえぞ)経営に衣川営(ころもがわのたむろ)という野戦基地が置かれた。これがのち、衣川関に再編、胆沢城の南の関門となったと思われる。平安後期、奥六郡俘囚長(ふしゅうちょう)安倍頼時(あべのよりとき)は、この関の北隣に衣川館を築いて、安倍氏の本拠とした。前九年の役には、源義家(よしいえ)、安倍貞任(さだとう)の間に、衣(川)の館をめぐる歌合戦の物語も伝えられている。平泉時代になると、平泉に逃れた源義経(よしつね)の宿館高館(たかだち)も衣川館とよばれている。しかし安倍の衣川館とは違い、下流の南東に移動している。[高橋富雄]

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