日本歴史地名大系 「西岩瀬町」の解説
西岩瀬町
にしいわせまち
富山湾に面し、西は四方町、東は神通古川の河口。富山藩の外港在郷町で、富山藩三宿の一。郷帳類には西岩瀬村とみえるが、貞享二年(一六八五)には町年寄の存在が知られ、以後西岩瀬町、ないしは単に岩瀬町と称された。婦負郡に属し、浜往来および富山城下と結ぶ街道が通る。正保四年(一六四七)の「越中道記」によれば、
慶長一四年(一六〇九)の神通川洪水により田地を流失し、漁猟が中心となった。河口変更から東岩瀬村と、村境・猟場争論がたびたび起こった。同一六年の詮議書(三州地理雑誌)には西岩瀬の物成として地子銀六〇〇目、猟舟一二艘につき高岡城に隠居の前田利長賄御肴役一〇日分と網役二六四匁、出来舟一二艘につき舟役一四七匁などとみえる。大舟は出羽秋田、蝦夷
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報