デジタル大辞泉 「山口華楊」の意味・読み・例文・類語 やまぐち‐かよう〔‐クワヤウ〕【山口華楊】 [1899~1984]日本画家。京都の生まれ。本名、米次郎。動物画にすぐれ、官展で活躍。文化勲章受章。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「山口華楊」の解説 山口 華楊ヤマグチ カヨウ 大正・昭和期の日本画家 日展顧問。 生年明治32(1899)年10月3日 没年昭和59(1984)年3月16日 出生地京都府京都市中京区 本名山口 米次郎 学歴〔年〕京都市立絵画専門学校選科〔大正8年〕卒 主な受賞名〔年〕帝展特選〔昭和2年・3年〕,日本芸術院賞(昭30年度)〔昭和31年〕「仔馬」,勲三等瑞宝章〔昭和48年〕,文化功労者〔昭和55年〕,文化勲章〔昭和56年〕 経歴家業は京友禅の彩色。12歳で西村五雲に師事し、大正5年京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)選科に入学、同年文展に初入選。15年から母校の助教授、教授(〜昭和24年)を務める。昭和2年・3年と連続帝展特選。戦前は文展や帝展で活躍、戦後は日展の中心的存在となったが、花鳥、動物を描き続けて70余年、特に動物画では詩情をたたえた独自の境地を開いた。29年には“新しい日本画のモデル”と絶賛された「黒豹」を発表、31年には「仔馬」で芸術院賞を受賞。他の代表作に「猿」「月夜野」「木精」など。55年文化功労者、56年文化勲章受章。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「山口華楊」の意味・わかりやすい解説 山口華楊【やまぐちかよう】 日本画家。京都市生れ。本名米次郎。西村五雲に師事。京都市立絵画専門学校卒。1921年竹内栖鳳の画塾竹杖会に参加。1927年《鹿》,1928年《猿》が帝展で連続特選。1936年から1949年まで母校で指導にあたる。1981年文化勲章。四条派の伝統に現代的センスを取り入れ,動物画に秀作を残した。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山口華楊」の意味・わかりやすい解説 山口華楊やまぐちかよう [生]1899.10.3. 京都[没]1984.3.16. 京都日本画家。本名米次郎。友禅染の彩色家の次男として生れる。 1916年京都市立絵画専門学校別科に学び,入学年に第 10回文展に入選,画壇に認められた。のち母校の教授をつとめる。動物,花鳥画に長じ,伝統的な写生の手法に近代的な心理表現を加えた独自の画境を開く。 71年日本芸術院会員,80年文化功労者に選ばれ,81年文化勲章受章。主要作品『日午』 (1916) ,『赤松ノ山』 (20) ,『鹿』 (26) ,『黒豹』 (54) ,『月夜野』 (71) ,『生』 (73,山種美術館) 。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口華楊」の解説 山口華楊 やまぐち-かよう 1899-1984 大正-昭和時代の日本画家。明治32年10月3日生まれ。山口玲煕(れいき)の弟。西村五雲にまなぶ。帝展特選となった「鹿」「猿」で動物画家として定評を得,代表作は昭和29年の「黒豹」。画塾晨鳥(しんちょう)社を主宰。芸術院会員。56年文化勲章。昭和59年3月16日死去。84歳。京都出身。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。本名は米次郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「山口華楊」の解説 山口 華楊 (やまぐち かよう) 生年月日:1899年10月3日大正時代;昭和時代の日本画家。日展顧問1984年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by